2週間、怒涛であった。

長女は4/1から学童、4/6に入学式を終えいよいよ学校生活がスタートした。

クラスにも恵まれ前途洋々、毎日、今日は何をした、誰と話した、先生はこうやって言ってた…と聞かせてくれる。

ランドセルは、重い!と不機嫌になりながらも頑張って背負っている。

下校後の公園遊びでお友達と沢山あそび、毎日帰宅は7時前後で夜はぐっすり眠る。

お姉さんになったと思う反面、小さい身空で本当によく頑張っている。

学童の時間でやるドリルを完了したので、ご褒美に本人の希望でゲームセンターに行った。

ガチャガチャの代わりにクレーンゲームを選び、取れそうで取れないまま終わり号泣。

帰宅すると「ガチャガチャでもよかったけど、娘ちゃんはクレーンゲーム頑張ったからいいんだ」と言っていた。

あらゆる経験が、食物のごとく糧になる時期に来たと感じる。

これからも本人のペースを大切にしながら進みたい。

長男は、保育園で進級して少しシオシオしていたが、次第に慣れてきたようで、朝はバイバイするともう見向きもしない。

とはいえ帰宅するとずっと母のそばに居たがる。

キッチン横のガード向かい側に設置した椅子に座りこみ、「まま、息子くんさびし〜の」などと言うのでそのたび抱きしめて頭をなでる。

本当によく頑張っている。

マイペースな性格で周りの動きに合わせることにストレスがある場面もあるだろうが、それも学びだろう。

担任の先生方が、息子の性格をよく理解してくださる方々でありがたい。

これからも、無理させすぎず適度にガス抜きしながらやっていこう。

意外なのは、慣らし保育に突入した次女である。

引き渡しの時は当然泣くのだが、暫くするともう遊び始め、おもちゃを物色したり散歩したりしている。

入園2日目から突然の離乳食爆ぐい意欲が来たようで、ミルクを拒否して米や野菜、魚やフルーツをよく食べるようになった。

降園後のご褒美にひじきせんべいを与えるのが定番になったが、最初はうまく食べきれなかったのが今では器用に左右の手で持ち替えながら最後まで上手に完食する。

更につかまり立ちも習得。

全く促していないのだが、こちらも入園2日目にしてスクッと母の膝から立ち上がり驚く。

ハイハイは機動力が格段に上がり、お座り遊びで後ろから名前を呼んで振り返っても転がらなくなった。

とはいえ一番小さいので用心して見守りたい。

園が信頼できるところで良かったと思うが、こちらも甘えすぎないようにしたい。

皆、本当によく頑張っている。

1週間お疲れさま&来週もよい日々になりますように。

新年あけましておめでとう。

初詣、お礼参りを済ませ、新しい達磨も迎え(?)、穏やかな正月。

息子が突如「これは俺のだ…」とか「俺は…」とか言い始め、衝撃の正月。

娘はどんどんギャルになり、わたしと二人の時間も増えるだろうと思う正月。

次女はとにかく、イベントについてきてくれるだけでありがとうの正月。

とにかく健康第一で、細かいことは気にしすぎず楽しくやっていこう。

皆に幸あれ。

壽仙院へ

2年弱が経ち、漸く水子供養に行ってきた。

次女が生まれる前年の冬に胎嚢が確認でき、だが9週で流れて生まれることが叶わなかった子。

長女が生まれたばかりの頃は、一人っ子で良いと思っていた。

やがて自分達はやがて老いるからと、きょうだいという存在の夢を描いて長男が誕生。

長男が話し始める頃には、我が家はおそらく”子ども3人”が最も平和にバランスを取れるだろうと考え、3人目を望む。

どの子も懐妊はギフトに近かったが、この3人目の流産からわたしはずいぶん”切望”したと思う。

流産したことがきっかけで子宮の異変に気付くことができた点でも、一つ大きく感謝しなくてはいけない。

何より、今の次女が居るのはこの子のお蔭である。

9週で出てきた姿をずっとずっと手放せず、そして次女の誕生までは弔い行事は避けようと今日まで来たが、漸く。

西浅草にある壽仙院で供養の儀:読経して卒塔婆建立まで行っていただいた。

戒名は「妙幸水子霊位」。

かわいらしいお戒名をおつけします、とお話いただいたのだが、相談過程で「お名前が決まっていたのでしたらそちらから一文字をお借りしましょう」とご提案いただいた形だった。

決して信心深いほうではない夫が、ご住職の説法に涙を浮かべていた。

最も世話になった友人も参列してくれ、子ども達も静かに聞けてよかった。

わたしの心持は、ただただ穏やかで安堵している。

伝えたいことがあるとすれば、やはり感謝のみ。

どうか安らかに眠ってもらいたい。

寺院には定期的に伺うだろうから、次のお供え物を考えておく。

妊婦健診第12回目。

子宮口が2センチ開いているのでもうすぐだろうとのこと。

とはいえ予定日が8/3なのでギリギリではある。

ここまで持ちこたえるのは初めてだ。

娘は37週、息子は38週で生まれた。

出産が軽い方だとは思っているが、今回はすでに上の二人より200−300グラム大きい。

大きく構えつつ、用心したい…

本当に毎日毎日お腹が苦しくてしんどくて、生きるのが辛いフェーズに入ってきた。

先月までは赤子がまだ小さかったので、わたし自身が体調をコントロールすればなんとかなる場面もあった。

今月、胎児の体重増加が一気に増す段階で、本当に自分の身体が宿主としての機能に特化し始めているのを感じる。

まず、四六時中眠い。

基本ずっと眠いが、輪をかけて耐えがたいほどの眠気が日中3時間に一度ほど訪れる。

内臓が圧迫され、まっすぐ座っていられず、全身の倦怠感や腰痛、肩凝り、手の震えがある。

少し食べると動機がして呼吸が苦しくなり、いくら息を吸っても酸欠に陥る感じがするものの、深呼吸すると眩暈がする。

野生動物なら、この時期はどう生きているのだろう。

きっと生死をかけて最終段階での栄養摂取と休息に充てているのではないか。

現代は医療もケアサービスも発達しており、基本の住環境は野生動物と比較にならないほど恵まれているだろうが、そのぶん母は動かなくてはならない。

仕事も家事も育児もあり、わが子たちはまだ幼い。

生きねば…!と強く思う。

色々なものを駆使しながら、そして娘や息子の存在に救われながら強く生きる。

今回の妊娠期間について

お腹の子について、あまり書いてこなかった。

18週目あたりから25週目までは逆子で心配したが、現在は位置も戻り、日々順調に大きくなっている。

エコーで見れば、上の2人よりも心なしか頭蓋の形が丸い気がする。

母が寝るタイミングで、ドンドコ運動会を開始する。

本当に、元気が何より。

母、体調不良の記録 ※更新

今週月曜朝から明らかに体調不良のため、記録を残す。

12/09…吐き気とめまい、食欲不振。

12/10…猛烈な肩こりと、悪寒がスタート。とはいえ体温36.6度。

12/11…梅昆布茶しかうけつけない。昼過ぎになり少しお腹が空く。

12/12…日中の吐き気は弱めだが、肩凝りがえげつない。そして腸が完全に活動を休止しているのがわかる。

12/13…午前に食欲がある代わりに夕方からの強めの吐き気。肩凝りは相変わらず。呼吸が浅くなり、軽めの動悸がある。

年明けから…

安定して胃痛継続だが、ガストールで多少軽減。

1/1-ほぼ毎晩、就寝後に夕食の消化不良からくる腹痛で夜中に目を覚ます。

娘5歳、息子2歳。

お誕生おめでとう、世界で最も愛しき我が子たち。

生まれてきてくれてありがとう。

そして、今年は娘にとっても息子にとっても、人生で最も味気ない誕生日になったに違いないと思う。

息子、1週間ゆるやかな下痢が続き体調不良。

娘、アデノウイルス罹患(1週間目)。

父、アデノウイルス罹患(2週間目)。

母、トリプルワークによる出勤。

この一年で最も大切な日に、母は一体全体何をしておるかと言うと、11月から正社員登用となったのだが既に子らの看病で2週間ほど在宅が続くため本日はいよいよ休めなくなり今は通勤の道中である。

今年は、思えば色々ある。

娘はアデノウイルス2回、インフルエンザ1回、手足口病1回罹患。

息子はアデノウイルス2回、インフルエンザ1回、コロナ1回、手足口病1回。

とくにゴールデンウィーク以降は1ヶ月のうち2週間以上は体調を崩している。

母が専業主婦ならよかったと、何度思ったか知れない。

そうしないことで、げんに今日も寂しい思いをさせてしまっている。

リスケした遠出をどうか楽しみに待っていてほしい。

ただ、母の直感および現状敷いている準備の予測によれば、今年はこうした辛抱の1年だったが、来年から我が家は大きく環境が向上し、君たちも過ごしやすくなるはずだ。

いつか、あんな誕生日もあったねと思い出して笑えるように。

そして今年が君たちにとって健やかで幸福多き、素晴らしい1年になることを願い、ただ精進する。

義母が上京

もう2週間も近く前のことになるが、義母が週末に上京した。

娘は大喜びで、おばあちゃんおばあちゃんとひとときも離れずずっとくっついていた。

1日目は、会食で馴染みの焼き肉屋へ。

2日目は、義母が予約しておいてくれた「野菜塾」へ行った。

釣り堀、ミニモノレール、地産地消の野菜を使用したランチ、アットホームなガーデンテラスでのひとときなど、娘も息子も、初めての体験に楽しそうだった。

夜は地元の飲み屋で、子どもたちも食べられるメニューを頂いた。

3日目は、義母が以前の来訪以来再度行きたいと切望していたル・ブルターニュへ。

息子がイレギュラーが続いて多少焦れていたが、義母と二人で近場に散歩に行くなど、こちらも新鮮な時間を楽しんでいた。

近くに居ればもっと頻繁に顔を出せるが、我々は東京と岐阜なので年に数回の逢瀬になる。

こういう機会を大切にしていきたい。

(と、言いつつ今回は全て義母がアレンジしてくれ、任せた形となった。)

29240413-16実父母上京

初日の土日と月曜を使い、父母が会いに来てくれた。

いつものことなのだが、もう子らもある程度育ってきたしこちらから伺えるよといっても「いいよいいよ、行くよ!」の一点張り。

そしてグルメ欲や観光欲もない父母は、いつも近場で取れるホテルに宿泊し、わたしや子らと公園や近場の遊び場で戯れて帰っていく。

今回もそうであった。

初日(4/13):

わたしと子供+実両親で午後から公共交通機関を使って待ち合わせをし、動物園へ。

娘は電車に乗った祖父母(父母)を見つけると全力でしっぽを振る子犬のように歓び、歓声を上げながら祖母にハグしにいった。

動物園は、17時閉園なのだが、色々な展示が15時前後から閉まり始める形で、動物は見れたり見られなかったりした。

到着当初、息子は爆睡していたが、途中から起きて一緒に楽しみ始めた。

背の高い祖父に抱かれ、いつもわたしが抱くのとは違う視界に新鮮そうにしていた。

父とは1年ぶりだが、娘はもちろん、息子ももう泣くことはなかった。

今回は、何度行っても展示室に不在であったホッキョクグマにお目にかかれた。

休憩でテラスに座り軽食を食べている時、わたしがつまんでいたポテトを無言で息子が奪い取り、父母を驚かせていた。

その後は夕方から父母に2人を預け、早めに解散した。

繁華街にホテルをとっていたため、近辺を散策しながら楽しく過ごさせてもらえたらしい。

夜、母から「娘ちゃんが何でも一人でできるようになっていて驚きました。食べ方も綺麗で、こぼすこともなく、自分のことはちゃんとできて成長していますね」とLINEが来ていた。

2日目(4/14):

昼から子らを連れて地元に来てもらい、我々夫婦、子ら、父母でなじみの店でランチ会をした。

店長が子らを見知ってくれているため、過ごしやすい時間だった。

息子はさっそく好き嫌いを存分に発揮し、野菜を投げようとしていたので夫が奮闘しながら回収していておもしろかった。

ランチ後は夫のみ解散し、近場の公園で少し時間を潰し、娘のダンスへと送り出し。

公園では子らを遊ばせながら陽射しのもとでくつろいでもらおうと思ったが、息子は脱走しようとするし、娘はボール遊びに大人を誘うのでほとんど休めなかったと思う。

ダンス中は、わたし、息子、父母でお茶しながら少し休憩した。

その後娘を迎えにいき、新しくなった近所の公園でしばらく遊ばせた後、ふたたび夕方解散した。

今回は娘のみを連れて行ってもらった。

娘は大はしゃぎであった。

ホテルの大浴場に連れて行ってもらったらしく、「皆服着てないんだけど!?」と叫んでいたらしい。

息子は、わたしと2人きりで一晩すごした。

風呂も部屋も、当然ながらいつもより広く使うことができ、自分のペースで遊びを楽しんでいた。

だが寝入りに「お姉ちゃん今日は居ないね」と言うと、きょろきょり見回して娘を探す様子も見受けられた。

3日目(4/15):

月曜日だったので、朝から2人をいったん登園させた。

11時に保育園の最寄り駅で待ち合わせ、荷物を預けてランチへ。

新卒時代に住んでいた地域なので父母としても思い出深くもあったようで、散策しながらゆっくり昼食をとった。

大人だけで初めて時間を設けて話ができてよかった。

その後保育園に早迎えにあがったが、娘の歓び方がここでも凄まじかった。

園周辺の少し大きめの公園で大人は休憩しつつ、子らを遊ばせた。

父母が、各々子らと一人ずつゆっくり触れ合ってくれていた。

息子は、ベンチに座っていた女性2人に拾ったきれいな葉っぱをプレゼント(本人的に)してお礼を言って貰え、気をよくしたのか、その後は小枝や小石をあつめては持っていこうとするのでなんとかなだめすかして違う遊びに誘ったが、頑としてやりたがり、こだわりの強さを感じた。

褒められて誇らしく思い、その行動を繰り返すとはなんと人間的だろうか。

最終的には自分の身の丈ほどの長い枝を振り回しながら持ち運ぼうとしていたので、さすがにさりげなくこちらで回収して遠くへと置いたが、珍しく怒って拗ねていた。

「それをあの人たちにあげたいの!!!」と聞こえてきそうな表情でうずくまってむくれており、なんとも可愛かった。

娘は、ひたすらアスレチックで遊んだり探索に精を出していた。

夕方まで遊び、近場でアイスを食べながら涼んだあと、新幹線にのる父母を途中まで電車で同行して、我々は最寄り駅で降りた。

「Grandma、Grandpa帰らないで」と、まだ人目もはばからず泣く娘を抱きしめつつ、父母を見送った。

娘と息子について

娘には、つくづく幸せでいて欲しいと思う。

もちろん息子にも同じ願いを抱いているが、娘はより感情の起伏が大きい方なので、楽しい時とそうでない時の差が激しい。

出会いがしらの歓びの表情を知った後、別れ際の泣き顔を見てこちらがもらい泣きしてしまう。

しかも、聞き訳はわりと良いから、いつまでもぐずることなく悲しいと思っていてもちゃんとバイバイするのである。

もちろん、切り替えも早いので「夜ごはんは大好きなナゲット一緒につくろうか!」など誘えば表情はほころんで笑顔が戻るし、結局わたしが傍にいれば今の彼女は概ね幸せだろう。

ただ、我々とてずっとそばに居られるわけではない。

彼女の周りには彼女を愛する人間が多く居て欲しいし、悲しみがあったとしてもそれを上回る幸福で満ちた人生を、明るく歩んで欲しいと切実に思う。

息子は、今回初めて「姉不在の夜」を迎えた。

生まれたから今までずっとずっとお姉ちゃんとセットで暮らしてきて、もちろん一人で行動するときはあるものの、夜寝るときまで母と2人(夫は夜遅いので大抵寝かしつけは母子になる)という状況だった。

娘がふだん能動的には貸そうとしないネジの積み木やマグ・フォーマーでここぞとばかりに集中しながら遊んでいた。

出来たものなどをすぐに持ってきて、わからないところは教えるよう促すなど本人なりに夢中になって遊んでいて、なんだか夜が来ても、寝る時間だよと促せなかったから少し夜更かしさせてしまった。

わたし自身、ふだんは姉弟2人で過ごす良さを多く感じているが、今回息子一人と向き合ってみて、これほど多くの時間を割けるものかと愕然とした。

一つ一つの挙動から目をそらさず居られる。

ふと顔を上げたタイミングでいつも目を合わせられる。

泣く前に、常に傍についていることができて、一緒にたくさんの遊びができる。

一人っ子であれば自然に得られた機会は、息子にはないものも多い。

それを埋められる愛情を持たねばならないと改めて思った。

本当に本当に、2人が大好きで、成長を見られることを光栄だと思う。

父母について

父母は、現在67歳である。

体力の低下も目に見えて感じられる。

そして、今回安堵したのは、我々とのふれあいはとても楽しんでくれていただろうし、孫たちのことは目に入れても痛くないほどというのもある一方、今となっては「2人でのんびり過ごす」のが最も居心地良いのだろうということだった。(とくに父)

幼少期から山あり谷ありで色んな事があった2人だが、こうして今お互いが一番心安らぐ存在なのだなというのが目に見えて、遠くに暮らすこの立場としては嬉しい限りであった。

我々(とくに娘であるわたし)に対しては一定の距離感が感じられ、良くも悪くもかもしれないが、昔のように何でも思ったことを伝えてくるということはなかった。

それだけに心配や懸念もあるだろうが、今日をして親子での適度な距離感が取れてきたと思う。

この状態を維持できるよう、わたしも極力心配などかけないようにしたい。

ただ、今回の上京に際して父母としてはわたしの健康状態がかなり気になっていたらしく、そのあたりもまた適宜周知していく必要があると思った。