娘が「まま〜?これゆったらしかられるかなって思うんだけどさ…」と言うので何かと思えば、「うち、歯磨きメッチャテキトーにやってる」とのこと。

可愛すぎて新しい感情が生まれそうになる…

娘、毎朝「なるべく早く迎えに来てね!」と言う。

前は、仕事があってそう早くは行けないことを伝えたりもしたのだが、それでも毎朝言う。

今は、がんばるね!と答えることにしている。

なんというか、もはやそれは挨拶で、「行ってきます」の代わりなのだ。

そしてきっと「小学生のおねえさん」の1日を頑張る合図でもある。

だからわたしの返答は、行ってらっしゃい愛してるよの意味だ。

本当に、様々な環境変化に健気に適応していて、見送った後よく涙が出る。

もう6歳、されど6歳。

大きく見えてまだまだ幼い、というより幼くあって然るべき年齢だ。

あなたの笑顔が曇らぬよう、わたしも愛を掲げ続けたい。

仕事中、よく娘の顔が浮かぶ。

偉いね、すごいね…と心のなかで声をかける。

終業後、急いでもそう変わらぬ帰りの道のりをダッシュで向かう。

今日もずっと会いたい、会いたかったよ。

早く迎えに来ることを頑張るのは、わたしの1日の心の支えにもなっている。

保育園の夏祭り。

毎年思うが、ほんの少し目を離しても一応ロックのかかった園の中に居り、子供に安全な食べ物やイベントしかなく、お友達も知り合いの親御さんも大勢居り…というこの日の存在は本当に園および保育士さん方様様である。

長女は卒園済みだが、チケットを手に入れてお邪魔した。

園には旧友がちらほら来ていた。

ネイルして、髪を結って、今年は浴衣ではなく動きやすい女の子用甚兵衛をさらりと着こなし、「あ、ままー。娘ちゃんちょっとお友達と遊んでくるね?」と言い残し颯爽と人込みに消えた。

息子は一つ一つの屋台をじっくり楽しみ、常に何かもぐもぐ食べては満足げであった。(かき氷のブルーハワイで舌が真っ青に…)

次女は、御膳睡の時間帯に被り少し眠たげだったが、抱っこでいろんなイベントをまわり、景品をぎゅっと握りしめてまんまるな瞳で一生懸命神輿を見るなどしていた。

永遠に続いてほしいひとときだった。

良い夏が、本格的に始まろうとしている。

学校の個人面談からの、娘の早お迎え日であった。

先生からは、日々お友達と喧嘩することはありつつも仲良く楽しく過ごしていること。

本人の素直さを褒めていただいた。

迎えに行くと真っ先に飛んできてくれる彼女。

いざ校門を出て、原宿のカフェ活する?服買いに行く?新しいアクアビーズや塗り絵欲しいんだっけ?…と聞いたところしばらく悩み、

「ん〜………ママと公園行きたいっ♡」

可愛くて、喉から変な音が出てしまった。

一応、一息つくためにクレープ屋さんとサンリオショップを経由し、たどり着いた先の公園でのびのび遊ぶ。

大きくなったなぁと思いながら、力強くブランコの背中を押していたら「ママ、もういいよっ」と言われる。

あっという間に、下の子達の迎えの時間が来た。

そうあまりにもあっという間に…

いつまでこういう関係で居させてくれるのだろう。

娘の仲良しさん達は野生児の傾向が高いから、まだしばらくは公園遊びも楽しめるかもしれない。

大好きよ。大好きよ。ずっとずーっと、大好きよ。

雨季。

子ども達が全然嫌そうでなくて可愛らしい。

長女は最初だけ「えーっ」と言うが、歩いているうちニコニコ笑顔で飛んだり跳ねたり。

息子は言わずもがな、レインコートに傘をフリフリさせてどこへでも行く。

赤子は抱っこ紐の隙間から手を伸ばし、母の持つ傘の柄をむんずと掴んでユラユラしながらケタケタ楽しそうにしている。

わたし自身もそもそも雨は好きだったが、子ども達との外出が大荷物になるためいつしか憂鬱に感じてしまっていた。

今年の残りの雨季は楽しめるよう、少し考え方を変えてみることにする。

娘の優しさに思わず泣きかける。

夕食の時一つだけ残しているおかずがあり、あー好きじゃなかったか…とちらりと見たのに気付いてか「これ一番好きだからとってあるんだ〜」という。

食事の最後のほうで「やっぱ苦手になってきちゃった…」と言うので、最初から無理しなくていいんだよ、ちゃんと一口食べて偉いね、嫌だったら残して良いからね。と伝えると小さくうつむき、「ママのご飯、苦手なものもあるけど、好きだって言ったらママ喜ぶかなっておもったの…」と少し涙ぐんでしまっていた。

そこまで気を遣わせて申し訳ないが、なによりその気持ちのピュアさに圧倒される。

子どもとは愛そのもの…毎日宝物のような時間をありがとう…

他所の子と一緒に遊ばせて気付く我が子等の新しい側面に、最近ハッとなったり癒されたりする。

娘は、ハッキリしているけど、押しが強すぎることはなく、お友達のことなどちゃんと待てるということ。

息子は、言語化を手伝ってあげれば元来それほど乱暴ではないこと。

赤子は、ママママママママママママママママが好きで他の人は普通(でも楽しい瞬間は沢山ある)、ということ。

地域の方々とのお祭りだった。

役員として撮影の義務があったため、娘とお友達に普段なら好きに回るに任せるところを次これいこう!あれやろう!あっ、これもあるよ!と誘導しながら全種目進めてしまい、うるさかったかな忙しすぎたかな…とひそかに反省していたら、寝る間際娘が「今日はママからたくさん誘ってくれてうれしかった」と言っており、わたしの胸がじんわりと温まった。

そういう捉え方してくれてありがとう。

これからに生かそう。

子ども達の人生が進むにつれ、主にネットリテラシーの観点から書けることが減ってきた。

皆、元気で生きている。

たまにここを見てくれている人が居るのではないかと何となく思い、念のため書いておく。

母は、永遠にこの子達を想い・愛し続けるだろう。

大げさに聞こえるかもしれないが、子ども達が生まれてからこの母の人生は本当の意味で始まったと思う。

もちろん、わたしはこの子達を産まなくても、楽しく幸福で、人に優しく好きな人達に好かれる人生を送ったと確信する。

心地よく、自分のできることを弛まず怠けず、”余裕で”やりきってきたし、末永くそうし続けたと思う。

ただ、本当の戦いというのは、この子達が生まれなければしようと思わなかったのではないかと、最近よく思う。

今、毎日必死で、時々心に余裕がない。

これが”忙しい”という心持ちか…と思ったりもする。

自分の不足を、毎日思う。

もっと効率よく動けたら。

もっと体力があれば。

もっと全面的に愛想がよければ。

もっともっと、優しくいられたら。

こういうことを毎日思い、疲弊する。

だけどこれからも諦めないと誓う。

わたしは、子を持って本当に初めて、他人を心の底から”羨ましい”と本気で思ったことが数度ある。

我が子を健康で幸せ(そう)に無事成長させきった人達のことだ。

わたしにはできていない、困難なことをやりきり、子ども達を生かして巣立たせた人達。

だけどやはり、これからも諦めないと誓う。

子ども達に、厳しく当たってしまったり、自分の思う理想の接し方ができない日もあるが、まぁ、何があったとしても決して諦めない。

諦めず自分の戦いで勝ちにいき、失敗しながらも投げ出さず前を向いて明るく優しく生きる。

(実は、長女の名前にはこれに類する意味が込められている。)

なんか思い立って、心意気のようなものを書き殴ってしまった。

見ている人がいるか確信はないのだけど、とりあえず、皆元気です。

これからも色々あるだろうが、元気でやっていく。

そしていつかここを見る可能性がある我が子達へ。

ずっとずっと大好きだよ。

赤子のうなじが大変素朴で可愛らしい。

と思っていたら、髪を上げた長女の形もやはり似ていた。

寝顔も似ていて、眉毛の形だけが少し違っている。

なんだかもう、愛おしすぎて毎日毎日、時を止めてほしい。