保育園の夏祭り。

毎年思うが、ほんの少し目を離しても一応ロックのかかった園の中に居り、子供に安全な食べ物やイベントしかなく、お友達も知り合いの親御さんも大勢居り…というこの日の存在は本当に園および保育士さん方様様である。

長女は卒園済みだが、チケットを手に入れてお邪魔した。

園には旧友がちらほら来ていた。

ネイルして、髪を結って、今年は浴衣ではなく動きやすい女の子用甚兵衛をさらりと着こなし、「あ、ままー。娘ちゃんちょっとお友達と遊んでくるね?」と言い残し颯爽と人込みに消えた。

息子は一つ一つの屋台をじっくり楽しみ、常に何かもぐもぐ食べては満足げであった。(かき氷のブルーハワイで舌が真っ青に…)

次女は、御膳睡の時間帯に被り少し眠たげだったが、抱っこでいろんなイベントをまわり、景品をぎゅっと握りしめてまんまるな瞳で一生懸命神輿を見るなどしていた。

永遠に続いてほしいひとときだった。

良い夏が、本格的に始まろうとしている。

先週は、久しぶりに息子を抱えて大泣きする出来事があった。

夕方迎えに行くと息子が教室に居らず、お手洗いとか遊び場やら製作コーナーを探しても居ない。

先生に尋ね、先生も大慌てで探してくれ、園のエントランスで捕獲され連れられてきた。

わたしが迎えに来たのが見え、大喜びで急いで荷物をまとめて下まで駆け下り、他所の親御さんがドアを開けたタイミングで外に出てしまったらしい。

何人もの親御さんが止めて中に戻してくださったが、その間をすり抜けて突破し、一番近くのスーパーまで駆けていったところで捕獲。

幾重にも小さな偶然が重なった結果、且つ成長して身を隠す術をおぼえ走るのも早くなった息子が、好奇心と少しの反骨心で管理の網目をくぐって起きた事態と理解するが、本当に寿命が縮む思いだった。

戻ったところをものすごい剣幕で叱り、息子と二度と会えなくなったらママ悲しいよと泣き怒りしながら説教したのであまり伝わっていないかもしれないが、トラウマにはなったかもしれない…

普段からもっと口酸っぱく言い聞かせようと誓った。

雨季。

子ども達が全然嫌そうでなくて可愛らしい。

長女は最初だけ「えーっ」と言うが、歩いているうちニコニコ笑顔で飛んだり跳ねたり。

息子は言わずもがな、レインコートに傘をフリフリさせてどこへでも行く。

赤子は抱っこ紐の隙間から手を伸ばし、母の持つ傘の柄をむんずと掴んでユラユラしながらケタケタ楽しそうにしている。

わたし自身もそもそも雨は好きだったが、子ども達との外出が大荷物になるためいつしか憂鬱に感じてしまっていた。

今年の残りの雨季は楽しめるよう、少し考え方を変えてみることにする。

下の子が手足口病になったので、娘を小学校に送っていったあと息子と次女を連れて小児科へ。

週明け初日のとんでもない荷物量にベビーカーを押しながら息も絶え絶えになりつつ、ふと、息子を乗せているのが奇妙に思え、歩かせてみようと思った。

一緒に歩く?と尋ねるとうん!と自分でベルトを外して立ち上がり、すたすたと前をゆく。

それから戻ってきて「息子くん押すの手伝ってあがるよ」とベビーカーを押す。

小児科では「これ読みたい~」と絵本を持ってきてせがみ、順番が来ると同席して「息子くんは元気だよ^^」とアピール。

終わると「これから保育園?」というので、電車でサクッと行っても良かったのだが、陽気もよいので散歩がてら向かうことにした。

大好きなピノ(アイス)を買い、一つずつ食べる。

全てを自分でやりたい月齢、パッケージを開けたりピックでアイスを指すのもアトラクションのようである。

おいしかったねと話しながら公園をつっきり、園に向かった。

短い時間だったが、息子とじっくり話せて幸せなひとときであった。

園につくと園庭のプールが既に準備完了しており、そのまま着替えて走っていった。

母に甘える部分と、自分でどんどん進む部分。

頼もしい存在になりつつある。

息子はなかなか寝たがらない年頃である。

昨晩、少し前に消灯した部屋に入り子ども達が寝ているのを確かめようとしたら、丸くて小さな2つの光がまだ静かに瞬いていた。

息子、大好きよ。おやすみね。

と頬を撫でて隣に滑り込むと、光が静かに点滅して「息子くんもままだいすき…」と寄ってくる。

伸びかけの髪は少しチクチクフワフワしていて、頬は餅のよう。

娘とともに、抱きしめながらいつの間にかわたしも寝落ちてしまっていた。

他所の子と一緒に遊ばせて気付く我が子等の新しい側面に、最近ハッとなったり癒されたりする。

娘は、ハッキリしているけど、押しが強すぎることはなく、お友達のことなどちゃんと待てるということ。

息子は、言語化を手伝ってあげれば元来それほど乱暴ではないこと。

赤子は、ママママママママママママママママが好きで他の人は普通(でも楽しい瞬間は沢山ある)、ということ。

子ども達の人生が進むにつれ、主にネットリテラシーの観点から書けることが減ってきた。

皆、元気で生きている。

たまにここを見てくれている人が居るのではないかと何となく思い、念のため書いておく。

母は、永遠にこの子達を想い・愛し続けるだろう。

大げさに聞こえるかもしれないが、子ども達が生まれてからこの母の人生は本当の意味で始まったと思う。

もちろん、わたしはこの子達を産まなくても、楽しく幸福で、人に優しく好きな人達に好かれる人生を送ったと確信する。

心地よく、自分のできることを弛まず怠けず、”余裕で”やりきってきたし、末永くそうし続けたと思う。

ただ、本当の戦いというのは、この子達が生まれなければしようと思わなかったのではないかと、最近よく思う。

今、毎日必死で、時々心に余裕がない。

これが”忙しい”という心持ちか…と思ったりもする。

自分の不足を、毎日思う。

もっと効率よく動けたら。

もっと体力があれば。

もっと全面的に愛想がよければ。

もっともっと、優しくいられたら。

こういうことを毎日思い、疲弊する。

だけどこれからも諦めないと誓う。

わたしは、子を持って本当に初めて、他人を心の底から”羨ましい”と本気で思ったことが数度ある。

我が子を健康で幸せ(そう)に無事成長させきった人達のことだ。

わたしにはできていない、困難なことをやりきり、子ども達を生かして巣立たせた人達。

だけどやはり、これからも諦めないと誓う。

子ども達に、厳しく当たってしまったり、自分の思う理想の接し方ができない日もあるが、まぁ、何があったとしても決して諦めない。

諦めず自分の戦いで勝ちにいき、失敗しながらも投げ出さず前を向いて明るく優しく生きる。

(実は、長女の名前にはこれに類する意味が込められている。)

なんか思い立って、心意気のようなものを書き殴ってしまった。

見ている人がいるか確信はないのだけど、とりあえず、皆元気です。

これからも色々あるだろうが、元気でやっていく。

そしていつかここを見る可能性がある我が子達へ。

ずっとずっと大好きだよ。

子どもたちが疲れ切っている時、どちらも少し暴力的になる。

彼らはきっと、優しさを誰かから或いはどこかから貰わなくてはならない。

子どもとはそういう生き物だと思う。

だからわたしは、大人の事情によって大変だろうが疲れていようが、そういうことは無関係として、できる限り優しくありたい(もちろん完璧ではない)。

とりあえず、二人を抱きしめながら温かい風呂にでも入ろう〜

怒涛のクリスマスイブと翌日を走りきった。

イブの日は早めに迎えに行き、お家でケーキ作り。

つまみ食いしまくる息子はしっかり目にいなされ、娘は飾り付けに熱中し、そうしているうちに夫が早めに帰宅し、クリスマスのディナー。

翌朝はサンタさんのプレゼント開封。

鉄板だが子ども達は楽しんでいたように見えた。

上の子2人は、昨日は着飾って保育園のクリスマスパーティーに出かけていった。

この子たちにとっては何もかもが一度きりの経験で、来年は来年の新しさがある。

娘も息子も、ようやく血で血を洗う喧嘩をしなくなってきたのでケーキ作りに踏み出せたのがありがたかった。

最近よく思うが、親自身がイベントを楽しむことは非常に大切である。

あれをさせてやりたい、ここに連れて行ってあげたい…こういうエゴがプレッシャーにかわり、自分は今怖い顔をしているなと思うことがあって反省する。

イベントごとでは、極力それがないように、何でも楽しみに変えて、子らが安心できる笑顔でいられる母でありたいものだ。