夫もわたしも結構、根暗というか、環境は違えどお天道様の元を大手を振って歩けることばかりではない人生だった。

だけど別々に形成されたパーソナリティの核・価値観のような部分が偶然似た形をしていて、今こうして楽しく暮らしているのは奇跡だよな、みたいなことを昨晩話していた。

そこから娘の将来にも話が及び、わたしはわたしの人生が好きだけど、娘にも同じようになって欲しいかと言われたらそれは違う、我々ふたりともマジョリティに興味を抱けない性質が強めだから、娘の選択を尊重するためにも、最初はなるべく広い世界を見せていきたいねというような話になった。

公に晒せば、もっと称賛されたり人を集める生き方の人というのは沢山いる。

わたしにはわたしから見た幸福しか評価することはできないから、後者の後者による主観的な魅力を知り得ない。

娘独自の喜びや幸せがどこに宿っているのかは、だから注意深く観察し続ける必要があると思った。

コロナ症状(関節痛ヤバし)のメモ

実は家庭内でわたし一人がコロナに罹患しており、症状が聞いていたものとわりと違った(気がする)のでメモしておく。

経過

初日…朝から発熱。背中と節々の激しい痛み、悪寒あり。ポカリ1リットル、お茶200ミリ、栄養ドリンクのみ摂取。汗もそれほどかかずよく眠れるが痛みで深くは寝入らない。発熱外来は最短日で翌日予約。一日を通して何も食べれず。

体温…午前:37.5→午後:38.1→夜:38.3

2日目…寝起き少し回復した印象だったが、10時を過ぎた頃から再度熱が上がる。関節痛が激しさを増す。喉が少し腫れ、唾液を飲み込むときに痛みがある。鼻水、咳はない。夕方PCRを実施。葛根湯のみ処方される。投薬、夕寝の後喉の痛みが激化。喉から出血あり。夜半は胸が苦しくなり、大量に発汗する。昼間のみ粥を椀に1/2食べる。

体温…午前:37.3→午後:38.3→夜:38.7

3日目…朝には解熱。喉の痛みと胸部の僅かな圧迫感のみ残る。薬の影響か発汗は多めだが、それ以外は概ねいつも通りの体調。

体温…午前:36.5→午後:36.4→夜:36.2

7日目=8月3日朝より、嗅覚が完全に途絶えた。香水を鼻先につけても何の匂いもせず、アルコールが揮発するツンとした感覚だけがある。以来、今のところ回復の兆し一切なし。カレーは塩味の粘土といった感じで全く美味しくない。

症状の特徴

最初の自覚的な症状は腰痛関節痛。全身がバラバラになるような痛みに襲われたのは1日目の午後~2日目の夜までだったが、他の風邪で類を見ないほどで久しぶりに堪えたため最初はインフルエンザを疑った。(調べるとオミクロンでは関節痛も主症状らしい)

発熱はこれまでの自分の風邪と同じ具合で、特にいつもより高いというわけではない。もちろんしんどい領域ではあるが、明らかにいつもの風邪と異なるというものではなかった。

呼吸器系の異常は、わたしの場合2日目まで皆無だった。2日目の晩のみ胸部に痛みと息苦しさがあり、この時点でようやくコロナを疑ったが、それまでは本当にインフルエンザではないかと思ったほどだった。

感染経路

潜伏期間最大14日を思うと同定しきれないが、その範囲で起きた外出イベントというと、正直浮かぶものが沢山ある。

・日々の公園あそび

・娘との水族館観光

・妊婦検診

…等々。

また何かわかったら追記するかも。

余談だが妊娠20週目を迎え、腹の膨らみが確実に目立ってきた。

娘の時、わたしは妊娠を意識することすらないほど終始健康で、元気だった。

それで(日常を特段変えたり運動量をやたら減らさない方が良いという通説を信じ)動き回り、切迫早産でNICUに1ヶ月間籠った。

今回そうするわけにいかないが、頻繁に体調を崩すお陰であまり動かなかったりやむを得ず半日以上寝込んだりするのは、かえって良い影響かもしれない。

娘の時との違いは他にもいくつかある。

・つわりが重く長い(普通レベルと推察)

・腹の膨らみが上部にまで至る→食欲低下、食べられる量の減少

・前方に向かって張る感じがする

性別の違いゆえなのか、赤子個人の個性なのかはわからないが、すくなくとも2人の子どもで妊娠体験が結構異なるのはおもしろい。

初めてではない筈だが、初めての体験も多いため、今後も油断せず生きたい。

更新滞っているが、家族揃って元気に過ごしている。

10-13日に義母が上京し、今回わたしはなにもせずすべて夫に任せた。

わたしと違ってあれやこれや世話を焼くわけではない夫だが、そのぶん喧嘩もせず穏やかに過ごしていて尊敬した…

わたしの話

「言いづらいことだし他人は言わないと思う、だから伝えるね」から始まる母の発言で久しぶりに悲しくなって昼間から年甲斐もなくメソメソと泣いた。

わたしに関することではなく娘に関することだったから余計に泣いた。

昔から母と言い合いになるのはこの手の話、それから差別や思い込みの話が多い。

大体は、母が善意で伝えてきたことに対してわたしが一方的に憤る・あるいは悲しむ展開が多く、いつも終わったあと酷い疲れだけが残る。

この歳で久しぶりに経験してやっぱり疲れたので、ちょっと事象整理と原因考察、いけたら対策を出すところまでを試みたい。

母側の”原因”のようなものを考えても仕方がない(そもそも母は基本善意で動く人で他人の気持ちに鈍感ではなく、母の他の行動と本件の動機・理由を区別することは難しいと感じる)ので、あくまで先に描いたような感情を生じる個体としての自分側の諸々について考察してみる。

【自覚する背景】

わたしは昔から他人に自分の言動に対してあれやこれやと言わせない方だ。

それはそもそもプライドが高いというのもあるのだけど、嫌われる人には嫌われても構わない(むしろ努力の方向性を間違えることで余分に消費するエネルギーを省いてその分自分にとって必要な人達との交遊に充てたい)と思っているからで、そもそも誰しもに好かれようなどと考えていないし、好かれることだけが大切だとも思っていない。

もちろん殆どの物事が対人で進んでいくわけだから、他人と円滑にコミュニケーションを取れるに越したことはないし、周囲からの印象を知ることは位置情報の把握と同様、自分にとっての財産ではある。

位置情報を得た上で、自分で舵をとって進むことを重視している。

【事象】

母の発言で、以下のようなものに苛立ちを感じる。

「あなたはなんでもさらりと出来過ぎて上の人からは可愛くないって思われているんじゃない?」

「入院してまで毎日身綺麗に整えて、バカな妊婦だと思われているんじゃない?」

「娘ちゃんのカメラ目線はあざといから可能な限り隠し撮りする方向に変えた方が良いんじゃない?」←NEW!!!

基本的には全て母の想像に基づくところでエビデンスがあるわけではないものだが、まぁ世間的にはおそらく当たらずとも遠からずのものもあると思う。

とはいえわたしとしては能動的に葬り去ったものばかりを掘り起こされたようで苛立ち、「なぜこれをわざわざあなたが伝えてくる?」と混乱するに近い感情になる。

正直、自分でも頭の隅では「そこまで気にする!?www」とも思う。

他にも親や他人と話していて苛立つことや嫌な話はなくはないはずだが、なぜこれだけ流すことができず今こうして文字化にまで至らせているのだろう。

【原因と解決策】※現段階における

わたし感じる苛立ちの根幹には、以下のような原因があると思う。→解決策と併せて書く。

1.母に全てを受け入れて欲しいと思ってしまっている。

他人ではなく「母に」このようなことを言われるから苛立つのでは。

「あなたは全てを受けて入れてくれるわたしの母親なのになぜそんな辛いことを言うの!?シクシク…」みたいな、完全に承認欲求に基づいたヒステリーの典型。

これは正直、ちょっとあるのではと思っている。

というのも、昔から母に全面的に頼る、甘えた記憶があまりなく、凄い子だ凄い子だと褒められて母に対して気を遣って生きてきたから、母によるパーソナリティへのマイナス発言には過敏になっていると思う。

→解決策:

自覚できた限りは、この「全てを受け入れて欲しい」という感情を捨てるべきだし、母がわたしに対してする発言を「親として」ではなく「一人の他人として」のものとして受け入れるよう努力すること。

2.他人から嫌われることをある意味で気持ちよく感じている自分の性格そのものを否定されたように感じる。

「他人から嫌われることをある意味で気持ちよく感じる」に限らず、わたしには時々悪役を好むみたいな側面があると自覚する。

その方がそもそもの性格に合っていてストレスがないし、悪役というのはあくまで社会的にそうなのであって、わたしの中での正義や倫理とは矛盾していないから、別に悪役にこだわるわけではなく結果そうなるといったことだ。

記憶する限り、母はわたしに「優しく柔らかで、善意を善意として受けとり、笑顔で居られる主人公」的な立場を望んでくれており、この姿勢が度々わたしの思想とは合っていないのが露呈するに近い。

→解決策:

そもそも「母に喜ばれないだろう」と判断することに関してはある程度露出を控えるのが良い。

昔からこれを徹底してきたつもりだったけど、近年は子どもが生まれてガードが緩んでいたのを少し自律的に戻す。

相手が誰であろうと、距離感や情報の表出量は気を配る価値がある。

3.そもそも自分自身が”実は気にしていること”の、図星を突かれて腹立たしく思っている。

嫌われても構わない、他人にどう思われても構わないと思っている一方で、他人の感情に鈍感で居るわけではないと自覚する。

だから一つ一つのマイナス体験は気にしていないようで実は記憶や印象に沁みついていて、拒否反応が出ているのでは。

…ただ、自分で書いておきながら、これはあまりない気がする。

というのも、他人との喧嘩や諍いで結果嫌な感情になったことがそもそも殆どないからだ。

印象に基づく相手の判断で損をすることはあったが、その後の行動で相手のそれが変わる可能性もわたしは知っているし、わたし自身が他人を印象では判断しすぎないようにすることは、普段から気を付けていることでもある。

→解決策:

母のアドバイスに従ってみることが一つの解決策だろうが、今のところ不要で、聞き流せば良い気はする。

娘に関することは、このアドバイスをいったん他人(すくなくとも夫)と分かち合い、検討する。

20220528名古屋の記録

弾丸旅行で名古屋に行った。

旅行といっても、休日予定だった夫の急な出張のつきそう形で行ったため自由時間の予測がつかず誰にも会う予定を組むことも無かった。

昼過ぎに品川→名古屋に新幹線で向かう。

新幹線ではしゃぐ娘がかわいらしかった。

現地に着いたのは15時手前。

天候に恵まれたため、ミッドランドスクエアのタワーに登ったり名駅直通の髙島屋で少し涼んだりなどした。

タワーにいる間中娘は爆睡していた。

夫と合流しなおしてからは、昔のいきつけだったらしいイタリアンに行くなどした。

夜の散策は栄、大須が中心。

神戸に行く度にも思うことだが、都会でありつつこじんまりしていてとても好きだ。

東京にはいくつも”スポット”があり、各々の顔色が違う楽しさがある。

田舎出身のわたしにとっては名古屋は都会のはずだったのに、それと比べると随分とコンパクトで、全て一か所に収まるようなちょうど良さがある。

あと、個人的にはあまり詳しくない筈なのに名古屋はどこか懐かしい感じがした。

帰りは22時近くの新幹線で都内の自宅に戻った。

大して歩いてない筈だが、大人2人ぐったりしていて情けなかった…

今回の弾丸旅行での一番の学びは、「新幹線ならグリーン車で幼子も人数分の席取って行くべき」

JRとしては6歳未満は親の膝上乗車(いわゆるただ乗り?)許可の方針らしいが、近くに居たそのスタイルの親子連れは軒並みしんどそうに見えた。

うちは最初から3席おさえるつもりで行ったが、それでも席の狭さで娘は途中から焦れていて少しかわいそうだった。

ほぼわたしの所感みたいな日記になってしまった…

子育てのメリットについて

真面目に育児が楽しい…。

大変さばかりが取りざたされ、「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさみたいなもの、つまり言葉を選ばず言うと親にとってのメリットみたいな部分は言われていない印象があるのでちょっとまとめてみる。

子育てのメリットについて。

1.子どもが可愛い

「は?」という感じだろうが、本当にマジでこれはもう外すことができなかった。

この点が第一に来ることはわたしの中で間違いがないため、”「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさ”と銘打ちながらやはり最初に書かなくてはならない。

まじで世界で一番子どもが可愛い。

以前も書いたことがある気がするが、わたしはそもそも「子ども」という存在は寧ろ嫌いだった。

弱いし、うるさいし、臭いし、汚い。

そのくせ変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり、総じてかわいくもない。

そういう存在だった子どもが、なぜ今これほどわたしの感情の大部分を占め、ありとあらゆる歓びの源になっているのかと聞かれると、正直わからない。

「生んでみたら死ぬほど可愛いかった」としか言いようがない。

この可愛さを知る限り、こんなに尊い出来事が人生にあったものなのだなと思わされるのが育児だ、今のところ。

2.人間存在について改めて学ぶことができる

二つ目のメリットがこれ。

わたしとしては、この部分も実はものすごく大きい。

子どもという無償の愛情を以て親に接してくれるか弱い存在が、日々成長し、出来ることがふえ、言葉を覚え、複雑な感情を体得してゆく。

この過程を間近で観察できることにより、これまで当たり前で気が付かなかった部分に改めて目を向ける機会が豊富に与えられている。

先で「変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり」と書いたが、これも子どもの知性の発達の成果の一つであって、かつては泣くと笑うしかできなかった存在が、笑顔の使いどころや言葉の言い回しを覚えていくといったそれまでの過程を知っていると、この狡猾さにすらおおいに感動したりする。

例えはいくらでもある。

それまで知らなかった概念を、まずは音の記号で認知して対象として知ること。

それを繰り返し自分でも口に出し、覚え、既に言葉を知る者たちのまえで使うことで、応用のすべも身に付けていくこと。

そして自分の主張や相手との交渉の手足として使うようになること。

嫉妬や苛立ちといった感情も興味深い。

それまでは「何とも思わない」から「なんとなく嫌」だった物事に、段々嫌な感情から執心し始め、泣くだけだったところから、「嫌」「やめて」といった言葉で拒絶するようになり、理由を問われて考える。

つくづく賢い生き物だなと思わされるし、原初的な感情が複雑に変貌していく過程に、どこにも不自然さがない。

そしてこれは、我が子だけでなく今生きるあらゆる大人が辿ってきた過程なのだ。

こういうことを日々学ぶ中で、わたしは娘という存在を以て、人間という存在が以前より少し好きになれていると思う。

3.新しい知識・コミュニティが形成できる

3つ目のメリットは社会生活に関するものだ。

子どもを通して、自分の知識や情報もアップデートしていかなくてはならないため、そもそも見識が深まるという点はありがたい。

子どもがいなければ知ろうとすらしなかった問題に目を向けることができる。

この問題は「子どもがいなければ知る必要すらなかった問題」とは少し違う。

自分以外の人間、少なくとも若い世代やこれからを生きる人達と関わる場面では必要・有意義だろうという知識が殆どで、そういう意味でこの知識には意味があると思う。

また、いわゆる「ママ友」「パパ友」といった、あるいはほとんどの場面ではそういう名目ではないにせよ、子どもを介して新たな交友関係が開いたりする。

その成員は教師、教育実践者、自治体のコミュニティ運営者、保育者、医療関係者、そして我々と同じ親だったりする。

今のところのわたしの観測範囲だが、子どもと深い関わりのある人達は精神的に余裕のある人、あるいは未来に目を向けて動く人の多い印象で、自分の未来がこの人達と重なることは光栄だと感じる。

以上が今実感している子育てのメリットだ。

子育てを楽しめないのでは、産むことが怖いといった不安のある人に何かの偶然で届いたりしたらいいなと思う。

夜中の白昼夢の話

実家で母を介護する夢を見た。

母は機械に疎く、ちょっとしたお願いを自分の判断で進めては失敗する。(これは今もたまにある)

そんな母と喧嘩になり、わたしは声を荒げていた。

母が絶叫した。

「違わないって言ってるでしょ!」

わかったから叫ばないでうるさい、とわたしが凄むと母は泣いた。

子供みたいだなと思った。

瞬間、その顔が娘のものだと気付いた。

ものすごい動悸とともに飛び起きたら、娘がわたしの隣で楽しそうに本を読んでいる。

どうやら寝かしつけたつもりでわたしが先に寝落ちてしまったらしかった。

イヤイヤ期の娘に、ここまでではないが、怒らずちゃんと言語化するように叱ることがある。

怒ったり叫んだりにはそれなりの原因があるだろうに、そこを配慮することを欠くわたしは、この子の人間性に対するリスペクトを欠いていたかもしれない。

そしてこれは、いろんな物事を自分の眼下に置いておき常に把握しておかないと気がすまないという、わたしの支配的な性格が予見させる一つの未来でもあるかもしれないと思った。

きっと、今は育児において、この先は介護において、一人でやれると思い込むところからわたしは間違っているんだろう。

夫にも他の人にも、「もっと頼って」と言われ、頼めば彼らは喜んで動いてくれるというのに、わたしは自分でやろうとしている。

30代の課題はおそらく「頼ること」。

それを学ぶことで他人にも敬意を抱け、優しくもなれる気がする。

生きよう…

そういえば昨日産婦人科で、胎内の我が子の生長を見た。

頭と手と足がくっきりとうつっており、1.5センチほどあるとのことだった。

心音も聞かせてもらうと、元気なはつらつとした音がする。

待合室で普通に大泣きした…可愛すぎた。

同時に娘のときのことも思い出す。

今より週数が少し進んでおり、わずかに大きかった。

ふたりとも幸せな人生になるようがんばるぞ。

幸運

娘の時は「この人の子供が欲しい」みたいな激情に駆られた末の妊娠、今回は「ご縁があったら授かりたいな。いつ来てくれるかなわくわく」の妊娠なので、自分でも心持ちと余裕の異なる様に少し驚いている。

子どもに優先順位つけるみたいで非人道的にも思われるかもしれないが、実感としてわたしにとって生涯唯一の絶対的存在は娘一人なんだろう。

娘のおかげでわたしは生きられる。

後に続く子は幸運そのもの、そんな感じ。

もちろん二人ともわたし自身の存在とは比較にならないほどかけがえがなく、尊い。

昨晩、娘がコロナだとすると今わたし自身感染したら腹の子も危険…とよぎったが、彼女の苦しそうな顔を見た瞬間に全て吹き飛び、この子が苦しむのはだめ、腹の子はきっと大丈夫だというような、数センチにも満たない我が子に既に頼るみたいな気持ちになっていた。

下の子には、だからこそ強く賢くなってもらう必要がある。

娘以上に(これも優先順位つけるわけではない前提だが)教育には早くから取り組み力を入れそうだと自分で予測してるけど、それがこの子のプレッシャーにならないようにわたしは気をつけなくてはならない。