有名ファミレス3社を子連れ目線で比較

珍しく情報シェアの目的で、シンプルに「子連れでファミレス入るならどこがおすすめ?」みたいな話です。

評価基準

子どもを産んでから、ファミレスの有名フランチャイズに行くように。

そもそもファミレスは家族連れに優しいオアシスだが、中でも子ども同伴で訪れたときの記憶で、あくまで主観的に店を比較してみる。

評価の基準は以下の通り。

「すごしやすさ」…子が騒いだ時のプレッシャーが少ないか。

「ヒトのサービス」…店員さんのホスピタリティや対応力は十分か。

「モノのサービス」…適切な設備が用意されているか等。

「ごはん」…食事がおいしいか、メニューが魅力的・豊富か等。

「ねだん」…そのまんま。

ファミレス比較

※評価ごとに降順

<サイゼリヤ> 4.2/5点

「すごしやすさ」★★★★★…周りも騒いでいる家庭が多いのでプレッシャーは少ない。
「ヒトのサービス」★★★…普通。面倒くさそうな顔をされたことはない。
「モノのサービス」★★★…備品など綺麗ではないが一通りそろっている。
「ごはん」★★★★★…普通においしい。流通経路の堅牢さを感じる安定した美味しさ。
「ねだん」★★★★★…お腹いっぱいになるまで食べても2000円を超えたことがない。

ファミレスでちゃんとおいしいものを食べさせたかったら、わたしは迷わずサイゼリヤに入る。

グランドメニューが圧倒的に豊富で、当然子どもの食べられるものも多く、どの季節に訪れても選び方次第でおいしいものにありつける。

豊富なメニューの中でもイタリアの田舎料理が強く、肉類・ロースト系・ピザはすこし頼りない印象。

ただ、看板メニューのミラノ風ドリア・エスカルゴ(某フレンチシェフが日本一の太鼓判を押したことでも有名)・サラダ・ハム・スープなどはいずれもちゃんとおいしい。

総じて、訪れている客層が良い印象で、食事とおしゃべりを楽しみに来訪しているのだなという空気を感じられるので、幼子を連れて行きやすい。

<Denny’s(デニーズ)> 3.8/5点

「すごしやすさ」★★★★…店内が比較的静かなので、子どもが騒ぐとヒヤッとする。
「ヒトのサービス」★★★★★…教育を細かく施されているのがわかるホスピタリティ。呼ばなくても時々様子を伺いに来てくれる。
「モノのサービス」★★★★…ランチョンマットが迷路になっていたり、ノベルティがあったり、デニーズのオリジナルキャラクターが居たりと、なにかと子どもを楽しませる工夫が揃っている。
「ごはん」★★★…味は良い。でもメニューが少なすぎて、子ども同伴で行ったときにオムライスくらいしか選べなかった…
「ねだん」★★★…定食屋レベルのお値段。

綺麗で明るい店内と穏やかな接客に、明らかにファミレス界のラグジュアリー的地位獲得を目指す方針を感じるデニーズ。

待ち時間にランチョンマットの迷路を楽しませてやれたり、店員さんが時々席を回り注文を聞いてくれたり、窓のブラインドを調整してくれたりと、訓練された(皆共通なので)細やかなサービスで、居心地は良い。

ただ、とにかくメニューの量が少ない。

季節ものや見栄えの良いものはあっても、子に食べさせられない(辛い・味が濃そうなど)等々、器(外装・インフラ)はあっても中身(料理・レストラン本来の目的物)がない歯がゆさがある。

大人としては過ごし酸いのだろうが、子どもを連れての魅力は中程度と言った感じ…

<ガスト> 3.4/5点

「すごしやすさ」★★★…一人用のテーブルが多く、通路も狭め。
「ヒトのサービス」★★★…店員さんが総じて冷たい人が多かった。
「モノのサービス」★★★★★…IT化に積極的。コロナを配慮した衝立が導入されていたり、タッチパッド注文だったり、ねこちゃんロボットで非対面を徹底するなど、世情に応じて必要なものが揃っている印象。
「ごはん」★★★★…和風洋風の両方があるのが有難いが、決して美味しくはない。
「ねだん」★★★★…高くはないが、サイゼリヤの手ごろさを知っていると魅力を感じるほどではない。

マーケティングに優れ、今は”全体的にお一人様向けのファミレス”という印象をうけるガスト。

店の規模が小~中くらいのものが多く、必然的に一つ一つのテーブルも小さく、こぢんまりしている。

各卓にコンセントがあるなど、サラリーマンのランチ利用やテレワーク、学生の勉強を見込んでいるのがわかる。

逆に、子連れでも対面席に案内されたり、店内がうす暗すぎたりと不自由を感じる場面も多かった。

和食がおいしくなさ過ぎてびっくりした。

※以下追記

この記載の後で、友人よりポジティブなコメントを貰ったことで、これまでの行動範囲とは異なる店舗に再訪してみた。ら…

良かった。

お子様メニューもあり、そのメニュー内のピザもおいしくて、前回までに訪れた店はもしやガストではないのか…?と見まごうレベルだった。

子連れ事情とはあまり関係ないかもしれないが、時制や環境に配慮する姿勢が魅力的に思えた。

例:衝立の徹底・配膳ロボット「ねこちゃんロボット」の導入・持ち帰り容器提供でフードロスを削減、等々。

こうした企業努力は社会貢献度が高いし、CMなどからもガストは企業としてマーケティングにとても優れている…。…

ー---------以下は未訪問なので訪問次第追記するー---------

<Royal Host(ロイヤルホスト)>

<バーミヤン>

<びっくりドンキー>

<COCO’S(ココス)>

<ジョナサン>

新婚生活の記憶

※思い出話

入籍翌日にわたしが入院して、退院後一ヶ月で娘が生まれたから、夫と二人きりの新婚生活は実質、臨月で絶対安静の30日間ほどしかなかった。

それはまるで束の間の凪のような期間(というよりも空間に近い)で、空はずっと薄い桃色で、静かで、自分が幸福という存在になりそのままぼんやりと世界に溶けてゆくような感覚でわたしは暮らしていた。

というのをふと思い出した。

本当に空が桃色であり続けるなどありえないわけだが、わたしの記憶の中で空の色は確かに薄い桃色なのだ。

思い出しついでに、そういえば当時は夫とあまり実のある話をした記憶ないなと思い至り、LINEのやりとりなど見返すと、痴話喧嘩などは一応あったようだ。

夫は、今と優しさも甘さも何もかもがまったく変わっていなくて、わたしだけが、母になり一人厳しくなったことにはおそらく間違いがない。

彼について”父親として未熟だ”と感じることもあるが、わたし自身、元来頑固でワンマンプレーにこだわる癖して、この愛らしい人にいきなり親として同じ立場から共闘せよというのは、酷な話ではあったかもしれない。

なんにせよ今でも夫は当時のやりとりとまるで違和感のない愛らしさを備えており、傍で変わらずわたしや娘を笑わせてくれる。

今夜は美味しいものでも作ろう…

子どもが生まれて人生はどのように変化したか

娘が生まれてからの変化について、現在までをまとめる。

母になった”わたし”は別人になったのか

よく、「母親は子どもが生まれると人が変わる」と言ったようなことを聞く。

自分についてどうかと言われると、たしかに子どもという今や大きすぎる存在が居なかった世界と存在する世界では、完全にわたしにとって異なるものだし、その意味では変化したと言える。

娘の寝顔を見ながら、どんどん大きくなってしまって、うれしいけど寂しい、うれしいけど!とダバーっと泣いているわたしを見て夫が「待って誰これ…俺の知ってる●さんじゃない、こわい…!!!」と引いていることが良くある。

ただ、自分自身について、所謂その元々の性質や根幹を揺るがす変化が起きたかと言うと、決してそうではない。

寧ろ今は、子どもが生まれる以前に長年考えてきたことの答え合わせをしているに近い感覚だ。

娘と同じ目線に立ち、一緒に木々や虫、葉っぱなどを眺めていると、「あぁわたしの感覚は特に狂ってはいなかったのか」と思わされることが多い。

娘がわたしに寄り添ってくれるからそう思えるのかもしれない。

”自分ファースト”ではなくなった人生のその先で

もう一つ、最近SNSで目にした考えでなるほどと思ったものがある。

子どもを生みたくない理由として「”自分ファースト”の人生を送りたい」というものだ。

いや超わかる…自分が楽しんでこそ人生に責任が持てるし、”自分ファースト”でなくなった先での生を誇れる・愛せる気がしなかった。

実際どうかと言うと、確かに、子どもが生まれてから自分一人の為の自由時間などはほぼなくなったし、気付けばいつも子どもか夫のことを考えている。

だけど、個人的にはこの”自分ファースト”ではない状態、予想していたよりもずっと歓びに溢れている。

わたしの場合世界を閉じているというよりもむしろ開放的になり、娘や夫を通して世界を見るし、娘や夫が生きやすい世の中を作りたいと思うからこそ本業でも精が出せたりする。

一人で得られる歓びには限りがあったというのは、子を生んで得た実感でもある。

多少下品な言い方をしてしまうと、”自分ファースト”を越えたところに見つけた生の彩の豊かさと、これまで以上の歓びあふれ出る様を知った今、先に見かけた子どもを生みたくない理由などを見ると、納得すると同時に「まだそこにいるのだね」と微笑ましく思う。

余談になるが、”子どもを生まない”という選択は、大学の選択科目を”ただ選択しない”ようなものだ。ただ”選択しない”だけのことをあたかも正当な行為として能動的・積極的に主張しなくてはならないと感じさせる社会事情自体、かなり不幸なものだし、これこそ我々の世代で変えていかなくてはならないと思う。ちなみにわたしが長年子どもを生むことを全く考えなかった理由は「クソ面倒くさそう」だ。こんな感じの理由を堂々とまかり通してきたほうだから、誰しも生みたかったら生むというので良いと個人的には思う。

今、どんなことに関心を抱いているか

わたしが昔から自分自身に課している行動指針は、野生的で優しく強く美しく在ることだけだ。

そのうえで、先の事情もあっていまや”自分が”楽しい、”自分が”美しい、”自分が”最高…みたいな話はもうあまりカッコ良いと思えなくなってきた節があるし、わたし自身にも尊ぶものがある。

本業ともかかわるので具体的には割愛するが、少し明かすと、わたしは、次の世代に残すべきものだけを残し、それ以外のゴミを片づけたいと考えている。

新しく生産する以上に、これまでの積算から選び、選ばないものを削ることを優先する。

世間の考えが「変わった」と実感できるほど変わるには、わたしの知る限り2世代ほど時間を要する。

だからわたしが生きている間にそれほど大きな変化などは望めないかもしれないが、それでも地道にやりたい。

こういった現金な事情から、原則わたしが付き合う相手は楽しくて美しくて最高なのはもはや間違いがないのだが、その先で相手がわたし同様「何を尊んでいるのか」については、つぶさに関心を向けていく必要があると思っている。

たとえ人間的に好ましい相手でも、こうした部分が大きく違えば一時的に交わりを断つだろうし、互いにそれが変化すればその先でまた交わることもあると思う。

そんな感じだ。

とりあえず今日も娘は可愛い。