余談だが妊娠20週目を迎え、腹の膨らみが確実に目立ってきた。

娘の時、わたしは妊娠を意識することすらないほど終始健康で、元気だった。

それで(日常を特段変えたり運動量をやたら減らさない方が良いという通説を信じ)動き回り、切迫早産でNICUに1ヶ月間籠った。

今回そうするわけにいかないが、頻繁に体調を崩すお陰であまり動かなかったりやむを得ず半日以上寝込んだりするのは、かえって良い影響かもしれない。

娘の時との違いは他にもいくつかある。

・つわりが重く長い(普通レベルと推察)

・腹の膨らみが上部にまで至る→食欲低下、食べられる量の減少

・前方に向かって張る感じがする

性別の違いゆえなのか、赤子個人の個性なのかはわからないが、すくなくとも2人の子どもで妊娠体験が結構異なるのはおもしろい。

初めてではない筈だが、初めての体験も多いため、今後も油断せず生きたい。

更新滞っているが、家族揃って元気に過ごしている。

10-13日に義母が上京し、今回わたしはなにもせずすべて夫に任せた。

わたしと違ってあれやこれや世話を焼くわけではない夫だが、そのぶん喧嘩もせず穏やかに過ごしていて尊敬した…

わたしの話

「言いづらいことだし他人は言わないと思う、だから伝えるね」から始まる母の発言で久しぶりに悲しくなって昼間から年甲斐もなくメソメソと泣いた。

わたしに関することではなく娘に関することだったから余計に泣いた。

昔から母と言い合いになるのはこの手の話、それから差別や思い込みの話が多い。

大体は、母が善意で伝えてきたことに対してわたしが一方的に憤る・あるいは悲しむ展開が多く、いつも終わったあと酷い疲れだけが残る。

この歳で久しぶりに経験してやっぱり疲れたので、ちょっと事象整理と原因考察、いけたら対策を出すところまでを試みたい。

母側の”原因”のようなものを考えても仕方がない(そもそも母は基本善意で動く人で他人の気持ちに鈍感ではなく、母の他の行動と本件の動機・理由を区別することは難しいと感じる)ので、あくまで先に描いたような感情を生じる個体としての自分側の諸々について考察してみる。

【自覚する背景】

わたしは昔から他人に自分の言動に対してあれやこれやと言わせない方だ。

それはそもそもプライドが高いというのもあるのだけど、嫌われる人には嫌われても構わない(むしろ努力の方向性を間違えることで余分に消費するエネルギーを省いてその分自分にとって必要な人達との交遊に充てたい)と思っているからで、そもそも誰しもに好かれようなどと考えていないし、好かれることだけが大切だとも思っていない。

もちろん殆どの物事が対人で進んでいくわけだから、他人と円滑にコミュニケーションを取れるに越したことはないし、周囲からの印象を知ることは位置情報の把握と同様、自分にとっての財産ではある。

位置情報を得た上で、自分で舵をとって進むことを重視している。

【事象】

母の発言で、以下のようなものに苛立ちを感じる。

「あなたはなんでもさらりと出来過ぎて上の人からは可愛くないって思われているんじゃない?」

「入院してまで毎日身綺麗に整えて、バカな妊婦だと思われているんじゃない?」

「娘ちゃんのカメラ目線はあざといから可能な限り隠し撮りする方向に変えた方が良いんじゃない?」←NEW!!!

基本的には全て母の想像に基づくところでエビデンスがあるわけではないものだが、まぁ世間的にはおそらく当たらずとも遠からずのものもあると思う。

とはいえわたしとしては能動的に葬り去ったものばかりを掘り起こされたようで苛立ち、「なぜこれをわざわざあなたが伝えてくる?」と混乱するに近い感情になる。

正直、自分でも頭の隅では「そこまで気にする!?www」とも思う。

他にも親や他人と話していて苛立つことや嫌な話はなくはないはずだが、なぜこれだけ流すことができず今こうして文字化にまで至らせているのだろう。

【原因と解決策】※現段階における

わたし感じる苛立ちの根幹には、以下のような原因があると思う。→解決策と併せて書く。

1.母に全てを受け入れて欲しいと思ってしまっている。

他人ではなく「母に」このようなことを言われるから苛立つのでは。

「あなたは全てを受けて入れてくれるわたしの母親なのになぜそんな辛いことを言うの!?シクシク…」みたいな、完全に承認欲求に基づいたヒステリーの典型。

これは正直、ちょっとあるのではと思っている。

というのも、昔から母に全面的に頼る、甘えた記憶があまりなく、凄い子だ凄い子だと褒められて母に対して気を遣って生きてきたから、母によるパーソナリティへのマイナス発言には過敏になっていると思う。

→解決策:

自覚できた限りは、この「全てを受け入れて欲しい」という感情を捨てるべきだし、母がわたしに対してする発言を「親として」ではなく「一人の他人として」のものとして受け入れるよう努力すること。

2.他人から嫌われることをある意味で気持ちよく感じている自分の性格そのものを否定されたように感じる。

「他人から嫌われることをある意味で気持ちよく感じる」に限らず、わたしには時々悪役を好むみたいな側面があると自覚する。

その方がそもそもの性格に合っていてストレスがないし、悪役というのはあくまで社会的にそうなのであって、わたしの中での正義や倫理とは矛盾していないから、別に悪役にこだわるわけではなく結果そうなるといったことだ。

記憶する限り、母はわたしに「優しく柔らかで、善意を善意として受けとり、笑顔で居られる主人公」的な立場を望んでくれており、この姿勢が度々わたしの思想とは合っていないのが露呈するに近い。

→解決策:

そもそも「母に喜ばれないだろう」と判断することに関してはある程度露出を控えるのが良い。

昔からこれを徹底してきたつもりだったけど、近年は子どもが生まれてガードが緩んでいたのを少し自律的に戻す。

相手が誰であろうと、距離感や情報の表出量は気を配る価値がある。

3.そもそも自分自身が”実は気にしていること”の、図星を突かれて腹立たしく思っている。

嫌われても構わない、他人にどう思われても構わないと思っている一方で、他人の感情に鈍感で居るわけではないと自覚する。

だから一つ一つのマイナス体験は気にしていないようで実は記憶や印象に沁みついていて、拒否反応が出ているのでは。

…ただ、自分で書いておきながら、これはあまりない気がする。

というのも、他人との喧嘩や諍いで結果嫌な感情になったことがそもそも殆どないからだ。

印象に基づく相手の判断で損をすることはあったが、その後の行動で相手のそれが変わる可能性もわたしは知っているし、わたし自身が他人を印象では判断しすぎないようにすることは、普段から気を付けていることでもある。

→解決策:

母のアドバイスに従ってみることが一つの解決策だろうが、今のところ不要で、聞き流せば良い気はする。

娘に関することは、このアドバイスをいったん他人(すくなくとも夫)と分かち合い、検討する。

20220528名古屋の記録

弾丸旅行で名古屋に行った。

旅行といっても、休日予定だった夫の急な出張のつきそう形で行ったため自由時間の予測がつかず誰にも会う予定を組むことも無かった。

昼過ぎに品川→名古屋に新幹線で向かう。

新幹線ではしゃぐ娘がかわいらしかった。

現地に着いたのは15時手前。

天候に恵まれたため、ミッドランドスクエアのタワーに登ったり名駅直通の髙島屋で少し涼んだりなどした。

タワーにいる間中娘は爆睡していた。

夫と合流しなおしてからは、昔のいきつけだったらしいイタリアンに行くなどした。

夜の散策は栄、大須が中心。

神戸に行く度にも思うことだが、都会でありつつこじんまりしていてとても好きだ。

東京にはいくつも”スポット”があり、各々の顔色が違う楽しさがある。

田舎出身のわたしにとっては名古屋は都会のはずだったのに、それと比べると随分とコンパクトで、全て一か所に収まるようなちょうど良さがある。

あと、個人的にはあまり詳しくない筈なのに名古屋はどこか懐かしい感じがした。

帰りは22時近くの新幹線で都内の自宅に戻った。

大して歩いてない筈だが、大人2人ぐったりしていて情けなかった…

今回の弾丸旅行での一番の学びは、「新幹線ならグリーン車で幼子も人数分の席取って行くべき」

JRとしては6歳未満は親の膝上乗車(いわゆるただ乗り?)許可の方針らしいが、近くに居たそのスタイルの親子連れは軒並みしんどそうに見えた。

うちは最初から3席おさえるつもりで行ったが、それでも席の狭さで娘は途中から焦れていて少しかわいそうだった。

ほぼわたしの所感みたいな日記になってしまった…

子育てのメリットについて

真面目に育児が楽しい…。

大変さばかりが取りざたされ、「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさみたいなもの、つまり言葉を選ばず言うと親にとってのメリットみたいな部分は言われていない印象があるのでちょっとまとめてみる。

子育てのメリットについて。

1.子どもが可愛い

「は?」という感じだろうが、本当にマジでこれはもう外すことができなかった。

この点が第一に来ることはわたしの中で間違いがないため、”「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさ”と銘打ちながらやはり最初に書かなくてはならない。

まじで世界で一番子どもが可愛い。

以前も書いたことがある気がするが、わたしはそもそも「子ども」という存在は寧ろ嫌いだった。

弱いし、うるさいし、臭いし、汚い。

そのくせ変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり、総じてかわいくもない。

そういう存在だった子どもが、なぜ今これほどわたしの感情の大部分を占め、ありとあらゆる歓びの源になっているのかと聞かれると、正直わからない。

「生んでみたら死ぬほど可愛いかった」としか言いようがない。

この可愛さを知る限り、こんなに尊い出来事が人生にあったものなのだなと思わされるのが育児だ、今のところ。

2.人間存在について改めて学ぶことができる

二つ目のメリットがこれ。

わたしとしては、この部分も実はものすごく大きい。

子どもという無償の愛情を以て親に接してくれるか弱い存在が、日々成長し、出来ることがふえ、言葉を覚え、複雑な感情を体得してゆく。

この過程を間近で観察できることにより、これまで当たり前で気が付かなかった部分に改めて目を向ける機会が豊富に与えられている。

先で「変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり」と書いたが、これも子どもの知性の発達の成果の一つであって、かつては泣くと笑うしかできなかった存在が、笑顔の使いどころや言葉の言い回しを覚えていくといったそれまでの過程を知っていると、この狡猾さにすらおおいに感動したりする。

例えはいくらでもある。

それまで知らなかった概念を、まずは音の記号で認知して対象として知ること。

それを繰り返し自分でも口に出し、覚え、既に言葉を知る者たちのまえで使うことで、応用のすべも身に付けていくこと。

そして自分の主張や相手との交渉の手足として使うようになること。

嫉妬や苛立ちといった感情も興味深い。

それまでは「何とも思わない」から「なんとなく嫌」だった物事に、段々嫌な感情から執心し始め、泣くだけだったところから、「嫌」「やめて」といった言葉で拒絶するようになり、理由を問われて考える。

つくづく賢い生き物だなと思わされるし、原初的な感情が複雑に変貌していく過程に、どこにも不自然さがない。

そしてこれは、我が子だけでなく今生きるあらゆる大人が辿ってきた過程なのだ。

こういうことを日々学ぶ中で、わたしは娘という存在を以て、人間という存在が以前より少し好きになれていると思う。

3.新しい知識・コミュニティが形成できる

3つ目のメリットは社会生活に関するものだ。

子どもを通して、自分の知識や情報もアップデートしていかなくてはならないため、そもそも見識が深まるという点はありがたい。

子どもがいなければ知ろうとすらしなかった問題に目を向けることができる。

この問題は「子どもがいなければ知る必要すらなかった問題」とは少し違う。

自分以外の人間、少なくとも若い世代やこれからを生きる人達と関わる場面では必要・有意義だろうという知識が殆どで、そういう意味でこの知識には意味があると思う。

また、いわゆる「ママ友」「パパ友」といった、あるいはほとんどの場面ではそういう名目ではないにせよ、子どもを介して新たな交友関係が開いたりする。

その成員は教師、教育実践者、自治体のコミュニティ運営者、保育者、医療関係者、そして我々と同じ親だったりする。

今のところのわたしの観測範囲だが、子どもと深い関わりのある人達は精神的に余裕のある人、あるいは未来に目を向けて動く人の多い印象で、自分の未来がこの人達と重なることは光栄だと感じる。

以上が今実感している子育てのメリットだ。

子育てを楽しめないのでは、産むことが怖いといった不安のある人に何かの偶然で届いたりしたらいいなと思う。

夜中の白昼夢の話

実家で母を介護する夢を見た。

母は機械に疎く、ちょっとしたお願いを自分の判断で進めては失敗する。(これは今もたまにある)

そんな母と喧嘩になり、わたしは声を荒げていた。

母が絶叫した。

「違わないって言ってるでしょ!」

わかったから叫ばないでうるさい、とわたしが凄むと母は泣いた。

子供みたいだなと思った。

瞬間、その顔が娘のものだと気付いた。

ものすごい動悸とともに飛び起きたら、娘がわたしの隣で楽しそうに本を読んでいる。

どうやら寝かしつけたつもりでわたしが先に寝落ちてしまったらしかった。

イヤイヤ期の娘に、ここまでではないが、怒らずちゃんと言語化するように叱ることがある。

怒ったり叫んだりにはそれなりの原因があるだろうに、そこを配慮することを欠くわたしは、この子の人間性に対するリスペクトを欠いていたかもしれない。

そしてこれは、いろんな物事を自分の眼下に置いておき常に把握しておかないと気がすまないという、わたしの支配的な性格が予見させる一つの未来でもあるかもしれないと思った。

きっと、今は育児において、この先は介護において、一人でやれると思い込むところからわたしは間違っているんだろう。

夫にも他の人にも、「もっと頼って」と言われ、頼めば彼らは喜んで動いてくれるというのに、わたしは自分でやろうとしている。

30代の課題はおそらく「頼ること」。

それを学ぶことで他人にも敬意を抱け、優しくもなれる気がする。

生きよう…

そういえば昨日産婦人科で、胎内の我が子の生長を見た。

頭と手と足がくっきりとうつっており、1.5センチほどあるとのことだった。

心音も聞かせてもらうと、元気なはつらつとした音がする。

待合室で普通に大泣きした…可愛すぎた。

同時に娘のときのことも思い出す。

今より週数が少し進んでおり、わずかに大きかった。

ふたりとも幸せな人生になるようがんばるぞ。

幸運

娘の時は「この人の子供が欲しい」みたいな激情に駆られた末の妊娠、今回は「ご縁があったら授かりたいな。いつ来てくれるかなわくわく」の妊娠なので、自分でも心持ちと余裕の異なる様に少し驚いている。

子どもに優先順位つけるみたいで非人道的にも思われるかもしれないが、実感としてわたしにとって生涯唯一の絶対的存在は娘一人なんだろう。

娘のおかげでわたしは生きられる。

後に続く子は幸運そのもの、そんな感じ。

もちろん二人ともわたし自身の存在とは比較にならないほどかけがえがなく、尊い。

昨晩、娘がコロナだとすると今わたし自身感染したら腹の子も危険…とよぎったが、彼女の苦しそうな顔を見た瞬間に全て吹き飛び、この子が苦しむのはだめ、腹の子はきっと大丈夫だというような、数センチにも満たない我が子に既に頼るみたいな気持ちになっていた。

下の子には、だからこそ強く賢くなってもらう必要がある。

娘以上に(これも優先順位つけるわけではない前提だが)教育には早くから取り組み力を入れそうだと自分で予測してるけど、それがこの子のプレッシャーにならないようにわたしは気をつけなくてはならない。

有名ファミレス3社を子連れ目線で比較

珍しく情報シェアの目的で、シンプルに「子連れでファミレス入るならどこがおすすめ?」みたいな話です。

評価基準

子どもを産んでから、ファミレスの有名フランチャイズに行くように。

そもそもファミレスは家族連れに優しいオアシスだが、中でも子ども同伴で訪れたときの記憶で、あくまで主観的に店を比較してみる。

評価の基準は以下の通り。

「すごしやすさ」…子が騒いだ時のプレッシャーが少ないか。

「ヒトのサービス」…店員さんのホスピタリティや対応力は十分か。

「モノのサービス」…適切な設備が用意されているか等。

「ごはん」…食事がおいしいか、メニューが魅力的・豊富か等。

「ねだん」…そのまんま。

ファミレス比較

※評価ごとに降順

<サイゼリヤ> 4.2/5点

「すごしやすさ」★★★★★…周りも騒いでいる家庭が多いのでプレッシャーは少ない。
「ヒトのサービス」★★★…普通。面倒くさそうな顔をされたことはない。
「モノのサービス」★★★…備品など綺麗ではないが一通りそろっている。
「ごはん」★★★★★…普通においしい。流通経路の堅牢さを感じる安定した美味しさ。
「ねだん」★★★★★…お腹いっぱいになるまで食べても2000円を超えたことがない。

ファミレスでちゃんとおいしいものを食べさせたかったら、わたしは迷わずサイゼリヤに入る。

グランドメニューが圧倒的に豊富で、当然子どもの食べられるものも多く、どの季節に訪れても選び方次第でおいしいものにありつける。

豊富なメニューの中でもイタリアの田舎料理が強く、肉類・ロースト系・ピザはすこし頼りない印象。

ただ、看板メニューのミラノ風ドリア・エスカルゴ(某フレンチシェフが日本一の太鼓判を押したことでも有名)・サラダ・ハム・スープなどはいずれもちゃんとおいしい。

総じて、訪れている客層が良い印象で、食事とおしゃべりを楽しみに来訪しているのだなという空気を感じられるので、幼子を連れて行きやすい。

<Denny’s(デニーズ)> 3.8/5点

「すごしやすさ」★★★★…店内が比較的静かなので、子どもが騒ぐとヒヤッとする。
「ヒトのサービス」★★★★★…教育を細かく施されているのがわかるホスピタリティ。呼ばなくても時々様子を伺いに来てくれる。
「モノのサービス」★★★★…ランチョンマットが迷路になっていたり、ノベルティがあったり、デニーズのオリジナルキャラクターが居たりと、なにかと子どもを楽しませる工夫が揃っている。
「ごはん」★★★…味は良い。でもメニューが少なすぎて、子ども同伴で行ったときにオムライスくらいしか選べなかった…
「ねだん」★★★…定食屋レベルのお値段。

綺麗で明るい店内と穏やかな接客に、明らかにファミレス界のラグジュアリー的地位獲得を目指す方針を感じるデニーズ。

待ち時間にランチョンマットの迷路を楽しませてやれたり、店員さんが時々席を回り注文を聞いてくれたり、窓のブラインドを調整してくれたりと、訓練された(皆共通なので)細やかなサービスで、居心地は良い。

ただ、とにかくメニューの量が少ない。

季節ものや見栄えの良いものはあっても、子に食べさせられない(辛い・味が濃そうなど)等々、器(外装・インフラ)はあっても中身(料理・レストラン本来の目的物)がない歯がゆさがある。

大人としては過ごし酸いのだろうが、子どもを連れての魅力は中程度と言った感じ…

<ガスト> 3.4/5点

「すごしやすさ」★★★…一人用のテーブルが多く、通路も狭め。
「ヒトのサービス」★★★…店員さんが総じて冷たい人が多かった。
「モノのサービス」★★★★★…IT化に積極的。コロナを配慮した衝立が導入されていたり、タッチパッド注文だったり、ねこちゃんロボットで非対面を徹底するなど、世情に応じて必要なものが揃っている印象。
「ごはん」★★★★…和風洋風の両方があるのが有難いが、決して美味しくはない。
「ねだん」★★★★…高くはないが、サイゼリヤの手ごろさを知っていると魅力を感じるほどではない。

マーケティングに優れ、今は”全体的にお一人様向けのファミレス”という印象をうけるガスト。

店の規模が小~中くらいのものが多く、必然的に一つ一つのテーブルも小さく、こぢんまりしている。

各卓にコンセントがあるなど、サラリーマンのランチ利用やテレワーク、学生の勉強を見込んでいるのがわかる。

逆に、子連れでも対面席に案内されたり、店内がうす暗すぎたりと不自由を感じる場面も多かった。

和食がおいしくなさ過ぎてびっくりした。

※以下追記

この記載の後で、友人よりポジティブなコメントを貰ったことで、これまでの行動範囲とは異なる店舗に再訪してみた。ら…

良かった。

お子様メニューもあり、そのメニュー内のピザもおいしくて、前回までに訪れた店はもしやガストではないのか…?と見まごうレベルだった。

子連れ事情とはあまり関係ないかもしれないが、時制や環境に配慮する姿勢が魅力的に思えた。

例:衝立の徹底・配膳ロボット「ねこちゃんロボット」の導入・持ち帰り容器提供でフードロスを削減、等々。

こうした企業努力は社会貢献度が高いし、CMなどからもガストは企業としてマーケティングにとても優れている…。…

ー---------以下は未訪問なので訪問次第追記するー---------

<Royal Host(ロイヤルホスト)>

<バーミヤン>

<びっくりドンキー>

<COCO’S(ココス)>

<ジョナサン>

新婚生活の記憶

※思い出話

入籍翌日にわたしが入院して、退院後一ヶ月で娘が生まれたから、夫と二人きりの新婚生活は実質、臨月で絶対安静の30日間ほどしかなかった。

それはまるで束の間の凪のような期間(というよりも空間に近い)で、空はずっと薄い桃色で、静かで、自分が幸福という存在になりそのままぼんやりと世界に溶けてゆくような感覚でわたしは暮らしていた。

というのをふと思い出した。

本当に空が桃色であり続けるなどありえないわけだが、わたしの記憶の中で空の色は確かに薄い桃色なのだ。

思い出しついでに、そういえば当時は夫とあまり実のある話をした記憶ないなと思い至り、LINEのやりとりなど見返すと、痴話喧嘩などは一応あったようだ。

夫は、今と優しさも甘さも何もかもがまったく変わっていなくて、わたしだけが、母になり一人厳しくなったことにはおそらく間違いがない。

彼について”父親として未熟だ”と感じることもあるが、わたし自身、元来頑固でワンマンプレーにこだわる癖して、この愛らしい人にいきなり親として同じ立場から共闘せよというのは、酷な話ではあったかもしれない。

なんにせよ今でも夫は当時のやりとりとまるで違和感のない愛らしさを備えており、傍で変わらずわたしや娘を笑わせてくれる。

今夜は美味しいものでも作ろう…