「言いづらいことだし他人は言わないと思う、だから伝えるね」から始まる母の発言で久しぶりに悲しくなって昼間から年甲斐もなくメソメソと泣いた。
わたしに関することではなく娘に関することだったから余計に泣いた。
昔から母と言い合いになるのはこの手の話、それから差別や思い込みの話が多い。
大体は、母が善意で伝えてきたことに対してわたしが一方的に憤る・あるいは悲しむ展開が多く、いつも終わったあと酷い疲れだけが残る。
この歳で久しぶりに経験してやっぱり疲れたので、ちょっと事象整理と原因考察、いけたら対策を出すところまでを試みたい。
母側の”原因”のようなものを考えても仕方がない(そもそも母は基本善意で動く人で他人の気持ちに鈍感ではなく、母の他の行動と本件の動機・理由を区別することは難しいと感じる)ので、あくまで先に描いたような感情を生じる個体としての自分側の諸々について考察してみる。
【自覚する背景】
わたしは昔から他人に自分の言動に対してあれやこれやと言わせない方だ。
それはそもそもプライドが高いというのもあるのだけど、嫌われる人には嫌われても構わない(むしろ努力の方向性を間違えることで余分に消費するエネルギーを省いてその分自分にとって必要な人達との交遊に充てたい)と思っているからで、そもそも誰しもに好かれようなどと考えていないし、好かれることだけが大切だとも思っていない。
もちろん殆どの物事が対人で進んでいくわけだから、他人と円滑にコミュニケーションを取れるに越したことはないし、周囲からの印象を知ることは位置情報の把握と同様、自分にとっての財産ではある。
位置情報を得た上で、自分で舵をとって進むことを重視している。
【事象】
母の発言で、以下のようなものに苛立ちを感じる。
「あなたはなんでもさらりと出来過ぎて上の人からは可愛くないって思われているんじゃない?」
「入院してまで毎日身綺麗に整えて、バカな妊婦だと思われているんじゃない?」
「娘ちゃんのカメラ目線はあざといから可能な限り隠し撮りする方向に変えた方が良いんじゃない?」←NEW!!!
基本的には全て母の想像に基づくところでエビデンスがあるわけではないものだが、まぁ世間的にはおそらく当たらずとも遠からずのものもあると思う。
とはいえわたしとしては能動的に葬り去ったものばかりを掘り起こされたようで苛立ち、「なぜこれをわざわざあなたが伝えてくる?」と混乱するに近い感情になる。
正直、自分でも頭の隅では「そこまで気にする!?www」とも思う。
他にも親や他人と話していて苛立つことや嫌な話はなくはないはずだが、なぜこれだけ流すことができず今こうして文字化にまで至らせているのだろう。
【原因と解決策】※現段階における
わたし感じる苛立ちの根幹には、以下のような原因があると思う。→解決策と併せて書く。
1.母に全てを受け入れて欲しいと思ってしまっている。
他人ではなく「母に」このようなことを言われるから苛立つのでは。
「あなたは全てを受けて入れてくれるわたしの母親なのになぜそんな辛いことを言うの!?シクシク…」みたいな、完全に承認欲求に基づいたヒステリーの典型。
これは正直、ちょっとあるのではと思っている。
というのも、昔から母に全面的に頼る、甘えた記憶があまりなく、凄い子だ凄い子だと褒められて母に対して気を遣って生きてきたから、母によるパーソナリティへのマイナス発言には過敏になっていると思う。
→解決策:
自覚できた限りは、この「全てを受け入れて欲しい」という感情を捨てるべきだし、母がわたしに対してする発言を「親として」ではなく「一人の他人として」のものとして受け入れるよう努力すること。
2.他人から嫌われることをある意味で気持ちよく感じている自分の性格そのものを否定されたように感じる。
「他人から嫌われることをある意味で気持ちよく感じる」に限らず、わたしには時々悪役を好むみたいな側面があると自覚する。
その方がそもそもの性格に合っていてストレスがないし、悪役というのはあくまで社会的にそうなのであって、わたしの中での正義や倫理とは矛盾していないから、別に悪役にこだわるわけではなく結果そうなるといったことだ。
記憶する限り、母はわたしに「優しく柔らかで、善意を善意として受けとり、笑顔で居られる主人公」的な立場を望んでくれており、この姿勢が度々わたしの思想とは合っていないのが露呈するに近い。
→解決策:
そもそも「母に喜ばれないだろう」と判断することに関してはある程度露出を控えるのが良い。
昔からこれを徹底してきたつもりだったけど、近年は子どもが生まれてガードが緩んでいたのを少し自律的に戻す。
相手が誰であろうと、距離感や情報の表出量は気を配る価値がある。
3.そもそも自分自身が”実は気にしていること”の、図星を突かれて腹立たしく思っている。
嫌われても構わない、他人にどう思われても構わないと思っている一方で、他人の感情に鈍感で居るわけではないと自覚する。
だから一つ一つのマイナス体験は気にしていないようで実は記憶や印象に沁みついていて、拒否反応が出ているのでは。
…ただ、自分で書いておきながら、これはあまりない気がする。
というのも、他人との喧嘩や諍いで結果嫌な感情になったことがそもそも殆どないからだ。
印象に基づく相手の判断で損をすることはあったが、その後の行動で相手のそれが変わる可能性もわたしは知っているし、わたし自身が他人を印象では判断しすぎないようにすることは、普段から気を付けていることでもある。
→解決策:
母のアドバイスに従ってみることが一つの解決策だろうが、今のところ不要で、聞き流せば良い気はする。
娘に関することは、このアドバイスをいったん他人(すくなくとも夫)と分かち合い、検討する。