新年あけましておめでとう。

初詣、お礼参りを済ませ、新しい達磨も迎え(?)、穏やかな正月。

息子が突如「これは俺のだ…」とか「俺は…」とか言い始め、衝撃の正月。

娘はどんどんギャルになり、わたしと二人の時間も増えるだろうと思う正月。

次女はとにかく、イベントについてきてくれるだけでありがとうの正月。

とにかく健康第一で、細かいことは気にしすぎず楽しくやっていこう。

皆に幸あれ。

壽仙院へ

2年弱が経ち、漸く水子供養に行ってきた。

次女が生まれる前年の冬に胎嚢が確認でき、だが9週で流れて生まれることが叶わなかった子。

長女が生まれたばかりの頃は、一人っ子で良いと思っていた。

やがて自分達はやがて老いるからと、きょうだいという存在の夢を描いて長男が誕生。

長男が話し始める頃には、我が家はおそらく”子ども3人”が最も平和にバランスを取れるだろうと考え、3人目を望む。

どの子も懐妊はギフトに近かったが、この3人目の流産からわたしはずいぶん”切望”したと思う。

流産したことがきっかけで子宮の異変に気付くことができた点でも、一つ大きく感謝しなくてはいけない。

何より、今の次女が居るのはこの子のお蔭である。

9週で出てきた姿をずっとずっと手放せず、そして次女の誕生までは弔い行事は避けようと今日まで来たが、漸く。

西浅草にある壽仙院で供養の儀:読経して卒塔婆建立まで行っていただいた。

戒名は「妙幸水子霊位」。

かわいらしいお戒名をおつけします、とお話いただいたのだが、相談過程で「お名前が決まっていたのでしたらそちらから一文字をお借りしましょう」とご提案いただいた形だった。

決して信心深いほうではない夫が、ご住職の説法に涙を浮かべていた。

最も世話になった友人も参列してくれ、子ども達も静かに聞けてよかった。

わたしの心持は、ただただ穏やかで安堵している。

伝えたいことがあるとすれば、やはり感謝のみ。

どうか安らかに眠ってもらいたい。

寺院には定期的に伺うだろうから、次のお供え物を考えておく。

妊婦健診第12回目。

子宮口が2センチ開いているのでもうすぐだろうとのこと。

とはいえ予定日が8/3なのでギリギリではある。

ここまで持ちこたえるのは初めてだ。

娘は37週、息子は38週で生まれた。

出産が軽い方だとは思っているが、今回はすでに上の二人より200−300グラム大きい。

大きく構えつつ、用心したい…

本当に毎日毎日お腹が苦しくてしんどくて、生きるのが辛いフェーズに入ってきた。

先月までは赤子がまだ小さかったので、わたし自身が体調をコントロールすればなんとかなる場面もあった。

今月、胎児の体重増加が一気に増す段階で、本当に自分の身体が宿主としての機能に特化し始めているのを感じる。

まず、四六時中眠い。

基本ずっと眠いが、輪をかけて耐えがたいほどの眠気が日中3時間に一度ほど訪れる。

内臓が圧迫され、まっすぐ座っていられず、全身の倦怠感や腰痛、肩凝り、手の震えがある。

少し食べると動機がして呼吸が苦しくなり、いくら息を吸っても酸欠に陥る感じがするものの、深呼吸すると眩暈がする。

野生動物なら、この時期はどう生きているのだろう。

きっと生死をかけて最終段階での栄養摂取と休息に充てているのではないか。

現代は医療もケアサービスも発達しており、基本の住環境は野生動物と比較にならないほど恵まれているだろうが、そのぶん母は動かなくてはならない。

仕事も家事も育児もあり、わが子たちはまだ幼い。

生きねば…!と強く思う。

色々なものを駆使しながら、そして娘や息子の存在に救われながら強く生きる。

今回の妊娠期間について

お腹の子について、あまり書いてこなかった。

18週目あたりから25週目までは逆子で心配したが、現在は位置も戻り、日々順調に大きくなっている。

エコーで見れば、上の2人よりも心なしか頭蓋の形が丸い気がする。

母が寝るタイミングで、ドンドコ運動会を開始する。

本当に、元気が何より。

母、体調不良の記録 ※更新

今週月曜朝から明らかに体調不良のため、記録を残す。

12/09…吐き気とめまい、食欲不振。

12/10…猛烈な肩こりと、悪寒がスタート。とはいえ体温36.6度。

12/11…梅昆布茶しかうけつけない。昼過ぎになり少しお腹が空く。

12/12…日中の吐き気は弱めだが、肩凝りがえげつない。そして腸が完全に活動を休止しているのがわかる。

12/13…午前に食欲がある代わりに夕方からの強めの吐き気。肩凝りは相変わらず。呼吸が浅くなり、軽めの動悸がある。

年明けから…

安定して胃痛継続だが、ガストールで多少軽減。

1/1-ほぼ毎晩、就寝後に夕食の消化不良からくる腹痛で夜中に目を覚ます。

娘5歳、息子2歳。

お誕生おめでとう、世界で最も愛しき我が子たち。

生まれてきてくれてありがとう。

そして、今年は娘にとっても息子にとっても、人生で最も味気ない誕生日になったに違いないと思う。

息子、1週間ゆるやかな下痢が続き体調不良。

娘、アデノウイルス罹患(1週間目)。

父、アデノウイルス罹患(2週間目)。

母、トリプルワークによる出勤。

この一年で最も大切な日に、母は一体全体何をしておるかと言うと、11月から正社員登用となったのだが既に子らの看病で2週間ほど在宅が続くため本日はいよいよ休めなくなり今は通勤の道中である。

今年は、思えば色々ある。

娘はアデノウイルス2回、インフルエンザ1回、手足口病1回罹患。

息子はアデノウイルス2回、インフルエンザ1回、コロナ1回、手足口病1回。

とくにゴールデンウィーク以降は1ヶ月のうち2週間以上は体調を崩している。

母が専業主婦ならよかったと、何度思ったか知れない。

そうしないことで、げんに今日も寂しい思いをさせてしまっている。

リスケした遠出をどうか楽しみに待っていてほしい。

ただ、母の直感および現状敷いている準備の予測によれば、今年はこうした辛抱の1年だったが、来年から我が家は大きく環境が向上し、君たちも過ごしやすくなるはずだ。

いつか、あんな誕生日もあったねと思い出して笑えるように。

そして今年が君たちにとって健やかで幸福多き、素晴らしい1年になることを願い、ただ精進する。

義母が上京

もう2週間も近く前のことになるが、義母が週末に上京した。

娘は大喜びで、おばあちゃんおばあちゃんとひとときも離れずずっとくっついていた。

1日目は、会食で馴染みの焼き肉屋へ。

2日目は、義母が予約しておいてくれた「野菜塾」へ行った。

釣り堀、ミニモノレール、地産地消の野菜を使用したランチ、アットホームなガーデンテラスでのひとときなど、娘も息子も、初めての体験に楽しそうだった。

夜は地元の飲み屋で、子どもたちも食べられるメニューを頂いた。

3日目は、義母が以前の来訪以来再度行きたいと切望していたル・ブルターニュへ。

息子がイレギュラーが続いて多少焦れていたが、義母と二人で近場に散歩に行くなど、こちらも新鮮な時間を楽しんでいた。

近くに居ればもっと頻繁に顔を出せるが、我々は東京と岐阜なので年に数回の逢瀬になる。

こういう機会を大切にしていきたい。

(と、言いつつ今回は全て義母がアレンジしてくれ、任せた形となった。)

29240413-16実父母上京

初日の土日と月曜を使い、父母が会いに来てくれた。

いつものことなのだが、もう子らもある程度育ってきたしこちらから伺えるよといっても「いいよいいよ、行くよ!」の一点張り。

そしてグルメ欲や観光欲もない父母は、いつも近場で取れるホテルに宿泊し、わたしや子らと公園や近場の遊び場で戯れて帰っていく。

今回もそうであった。

初日(4/13):

わたしと子供+実両親で午後から公共交通機関を使って待ち合わせをし、動物園へ。

娘は電車に乗った祖父母(父母)を見つけると全力でしっぽを振る子犬のように歓び、歓声を上げながら祖母にハグしにいった。

動物園は、17時閉園なのだが、色々な展示が15時前後から閉まり始める形で、動物は見れたり見られなかったりした。

到着当初、息子は爆睡していたが、途中から起きて一緒に楽しみ始めた。

背の高い祖父に抱かれ、いつもわたしが抱くのとは違う視界に新鮮そうにしていた。

父とは1年ぶりだが、娘はもちろん、息子ももう泣くことはなかった。

今回は、何度行っても展示室に不在であったホッキョクグマにお目にかかれた。

休憩でテラスに座り軽食を食べている時、わたしがつまんでいたポテトを無言で息子が奪い取り、父母を驚かせていた。

その後は夕方から父母に2人を預け、早めに解散した。

繁華街にホテルをとっていたため、近辺を散策しながら楽しく過ごさせてもらえたらしい。

夜、母から「娘ちゃんが何でも一人でできるようになっていて驚きました。食べ方も綺麗で、こぼすこともなく、自分のことはちゃんとできて成長していますね」とLINEが来ていた。

2日目(4/14):

昼から子らを連れて地元に来てもらい、我々夫婦、子ら、父母でなじみの店でランチ会をした。

店長が子らを見知ってくれているため、過ごしやすい時間だった。

息子はさっそく好き嫌いを存分に発揮し、野菜を投げようとしていたので夫が奮闘しながら回収していておもしろかった。

ランチ後は夫のみ解散し、近場の公園で少し時間を潰し、娘のダンスへと送り出し。

公園では子らを遊ばせながら陽射しのもとでくつろいでもらおうと思ったが、息子は脱走しようとするし、娘はボール遊びに大人を誘うのでほとんど休めなかったと思う。

ダンス中は、わたし、息子、父母でお茶しながら少し休憩した。

その後娘を迎えにいき、新しくなった近所の公園でしばらく遊ばせた後、ふたたび夕方解散した。

今回は娘のみを連れて行ってもらった。

娘は大はしゃぎであった。

ホテルの大浴場に連れて行ってもらったらしく、「皆服着てないんだけど!?」と叫んでいたらしい。

息子は、わたしと2人きりで一晩すごした。

風呂も部屋も、当然ながらいつもより広く使うことができ、自分のペースで遊びを楽しんでいた。

だが寝入りに「お姉ちゃん今日は居ないね」と言うと、きょろきょり見回して娘を探す様子も見受けられた。

3日目(4/15):

月曜日だったので、朝から2人をいったん登園させた。

11時に保育園の最寄り駅で待ち合わせ、荷物を預けてランチへ。

新卒時代に住んでいた地域なので父母としても思い出深くもあったようで、散策しながらゆっくり昼食をとった。

大人だけで初めて時間を設けて話ができてよかった。

その後保育園に早迎えにあがったが、娘の歓び方がここでも凄まじかった。

園周辺の少し大きめの公園で大人は休憩しつつ、子らを遊ばせた。

父母が、各々子らと一人ずつゆっくり触れ合ってくれていた。

息子は、ベンチに座っていた女性2人に拾ったきれいな葉っぱをプレゼント(本人的に)してお礼を言って貰え、気をよくしたのか、その後は小枝や小石をあつめては持っていこうとするのでなんとかなだめすかして違う遊びに誘ったが、頑としてやりたがり、こだわりの強さを感じた。

褒められて誇らしく思い、その行動を繰り返すとはなんと人間的だろうか。

最終的には自分の身の丈ほどの長い枝を振り回しながら持ち運ぼうとしていたので、さすがにさりげなくこちらで回収して遠くへと置いたが、珍しく怒って拗ねていた。

「それをあの人たちにあげたいの!!!」と聞こえてきそうな表情でうずくまってむくれており、なんとも可愛かった。

娘は、ひたすらアスレチックで遊んだり探索に精を出していた。

夕方まで遊び、近場でアイスを食べながら涼んだあと、新幹線にのる父母を途中まで電車で同行して、我々は最寄り駅で降りた。

「Grandma、Grandpa帰らないで」と、まだ人目もはばからず泣く娘を抱きしめつつ、父母を見送った。

娘と息子について

娘には、つくづく幸せでいて欲しいと思う。

もちろん息子にも同じ願いを抱いているが、娘はより感情の起伏が大きい方なので、楽しい時とそうでない時の差が激しい。

出会いがしらの歓びの表情を知った後、別れ際の泣き顔を見てこちらがもらい泣きしてしまう。

しかも、聞き訳はわりと良いから、いつまでもぐずることなく悲しいと思っていてもちゃんとバイバイするのである。

もちろん、切り替えも早いので「夜ごはんは大好きなナゲット一緒につくろうか!」など誘えば表情はほころんで笑顔が戻るし、結局わたしが傍にいれば今の彼女は概ね幸せだろう。

ただ、我々とてずっとそばに居られるわけではない。

彼女の周りには彼女を愛する人間が多く居て欲しいし、悲しみがあったとしてもそれを上回る幸福で満ちた人生を、明るく歩んで欲しいと切実に思う。

息子は、今回初めて「姉不在の夜」を迎えた。

生まれたから今までずっとずっとお姉ちゃんとセットで暮らしてきて、もちろん一人で行動するときはあるものの、夜寝るときまで母と2人(夫は夜遅いので大抵寝かしつけは母子になる)という状況だった。

娘がふだん能動的には貸そうとしないネジの積み木やマグ・フォーマーでここぞとばかりに集中しながら遊んでいた。

出来たものなどをすぐに持ってきて、わからないところは教えるよう促すなど本人なりに夢中になって遊んでいて、なんだか夜が来ても、寝る時間だよと促せなかったから少し夜更かしさせてしまった。

わたし自身、ふだんは姉弟2人で過ごす良さを多く感じているが、今回息子一人と向き合ってみて、これほど多くの時間を割けるものかと愕然とした。

一つ一つの挙動から目をそらさず居られる。

ふと顔を上げたタイミングでいつも目を合わせられる。

泣く前に、常に傍についていることができて、一緒にたくさんの遊びができる。

一人っ子であれば自然に得られた機会は、息子にはないものも多い。

それを埋められる愛情を持たねばならないと改めて思った。

本当に本当に、2人が大好きで、成長を見られることを光栄だと思う。

父母について

父母は、現在67歳である。

体力の低下も目に見えて感じられる。

そして、今回安堵したのは、我々とのふれあいはとても楽しんでくれていただろうし、孫たちのことは目に入れても痛くないほどというのもある一方、今となっては「2人でのんびり過ごす」のが最も居心地良いのだろうということだった。(とくに父)

幼少期から山あり谷ありで色んな事があった2人だが、こうして今お互いが一番心安らぐ存在なのだなというのが目に見えて、遠くに暮らすこの立場としては嬉しい限りであった。

我々(とくに娘であるわたし)に対しては一定の距離感が感じられ、良くも悪くもかもしれないが、昔のように何でも思ったことを伝えてくるということはなかった。

それだけに心配や懸念もあるだろうが、今日をして親子での適度な距離感が取れてきたと思う。

この状態を維持できるよう、わたしも極力心配などかけないようにしたい。

ただ、今回の上京に際して父母としてはわたしの健康状態がかなり気になっていたらしく、そのあたりもまた適宜周知していく必要があると思った。

母(わたし)の婦人科検診結果

実は流産判明と同時に、子宮頸がん検診で「HSIL(高度扁平上皮内病変)を除外できない異形扁平上皮細胞」が発見されたため、精密検査になった。

今後いつか娘たちがここを見たときに、軽微なものもふくめた親族の症例というのは参考にもなるだろうから、この投稿をベースに検診結果を更新する形で追記していく。

①2024/2/14:第1回精密検査

エコー検査、触診を行った。

内容は以下の通り。

・子宮頚管粘液採取

・超音波検査(断層撮影法)(胸腹部)

(・細胞診 …レディースクリニックからの採取材料を提出)

医師曰はく、見たところ子宮内部は綺麗(?)で傷などもないとのこと。

次回検査と併せて今回の検査結果もヒアリング予定。

②2024/3/1:第2回精密検査「コルポスコピー」+第1回精密検査の結果ヒアリング

第1回精密検査の結果は以下の通り。

・臨床診断結果:子宮頸癌細胞診 ASC-H(標本適正:適正/移行帯:有/判定1:ASC-H)

・所見:〔子宮頚部〕変性所見が見られるが、中層~深層型の扁平上皮細胞に核腫大、核形不整、核クロマチン濃染を認める。HSILが疑われる。

・細胞成分量:子宮頚部 表層扁平上皮細胞1+、中層扁平上皮細胞2+、間質細胞内膜few、赤血球2+、好中球2+

コルポスコピーは、診察台で子宮頚部にあたる部分の肉片を採取して検査。

少しの痛みと不快感を伴うが、合計5分程度で終わった。

娘についてきてもらったが、わたしの右腕にしがみついて終始恐怖を訴えていた(すまん)…

前回の検査のより精緻化したものが、次回わかるらしい。

③2024/3/15:第2回精密検査「コルポスコピー」の結果ヒアリング

結果は以下の通り。

・臨床診断:CIN疑い* につき、3ヶ月後に再度検診が必要。

 *Cervical Intraepithelial Neoplasia:略してCIN、つまり子宮頸部異形成=子宮頸がんの前段階(前がん病変)

・病理組織学的診断:CIN2/HSIL, uterine cervix, biopsy

・所見:SCJ付近粘膜。重曹扁平上皮の下層2/3付近まで異型細胞の増殖が認められ、CIN2/HSIL。

以下は、もう少しかみ砕いた記述。

今回の診断はわかりやすく言えば、このまま悪化して放置すれば癌、ただし完治する可能性もあるというもの。

子宮頸がん検査の結果は大きく分けて「正常」、「異形成」、「がん」に分類され、異形成とは子宮頸部の細胞がHPVヒトパピローマウイルス:Human Papilloma Virus)というウイルス感染によって起こるが、「がん」とは違い悪性腫瘍ではない。

子宮頸部の細胞にはマクロファージというウイルスの侵入を監視する細胞が存在し、マクロファージと免疫細胞の連携によってHPVが排除されれば、細胞は正常な状態に戻ることができる。

異形成はさらに子宮頸部上皮内腫瘍(cervical intraepithelial neoplasia : CIN)という概念で、それぞれ「軽度」(CIN1)、「中等度」(CIN2)、「高度+上皮内がん」(CIN3)と3つに分類される。

CIN2の40%は1年~2年の間で自然消失し、20%は進行する。進行した先で数年~十数年で浸潤癌へと至る確率は、現在5%とされる。

参考:子宮頸部異形成 – 新横浜駅徒歩1分の婦人科 アイレディースクリニック新横浜

以下は、臨床サポートより引用。

疾患情報(疫学・病態) 

・子宮頸部上皮内腫瘍(cervical intraepithelial neoplasia、CIN)は、1966年にR.M.Richartにより子宮頸部の異形成~上皮内癌を連続した病変と捉える考え方からつけられた名称で、分化傾向の乏しい未熟細胞が重層扁平上皮の基底膜から表層に向かって広がる程度によりCIN1/2/3と3段階に分類される[1]。CIN1は軽度異形成、CIN2は中等度異形成、CIN3は高度異形成~上皮内癌に相当する。

・CINは、ヒトパピローマウイルス(human papillomavirus、HPV)の感染が密接に関与しており、CIN1はHPV感染の組織像、CIN2はHPV感染の範疇と腫瘍性変化を伴った細胞が混在した組織像、CIN3はHPV感染細胞が腫瘍細胞に移行し置換された組織像と考えてよい。

・子宮頸部の扁平上皮系前癌病変は、異形成、CINの3段階分類のほかに、臨床上の取り扱い(経過観察/治療)により2段階に分ける扁平上皮内病変(squamous intraepithelial lesion、SIL)の分類がある。LSIL(low grade SIL)はCIN1、HSIL(high grade SIL)はCIN2~CIN3に相当する。子宮頸癌取扱い規約 病理編 第4版(2017年)はSILとCINの併記を採用している(例:LSIL/CIN1、HSIL/CIN2、HSIL/CIN3)。

・CINは数年から十数年で浸潤癌に進展する。CINのgradeが高いほど浸潤癌に進展する(CIN1は1%、CIN2は5%、CIN3は>12%)[2]。
・組織診で確認されたCIN1は6カ月ごとに細胞診とコルポスコピーでフォローする。
・組織診で確認されたCIN2は3~6カ月ごとに細胞診とコルポスコピーを併用して厳重なフォローをする。
・CIN1/2の進展リスク評価のためにHPVタイピング検査を行うことができる。その場合、HPV16、18、31、33、35、45、52、58のいずれかが陽性の病変では進展リスクが高いので、それ以外のHPV陽性例あるいはHPV陰性例とは分けて管理することが勧められる[3]。
・CIN2は妊娠女性を除き、フォローで自然消退しない場合、本人の強い希望がある場合、継続的な受診が困難な場合やHPVタイピング検査でHPV16、18、31、33、35、45、52、58のいずれかが陽性の症例は選択的に治療することができる[3]。
・組織診で確認されたCIN3は治療する。
・妊婦のCINはフォローアップが原則で、どうしても浸潤癌が否定できない場合のみ診断的子宮頸部円錐切除が許される。
・妊婦のCIN3は細胞診、コルポスコピー、生検組織診で微小浸潤癌以上の病変の疑いのない場合は、分娩後まで円錐切除を延期することが可能である。
・妊婦のCIN3は、細胞診、コルポスコピー、生検組織診で微小浸潤癌以上の病変の疑いのある場合は円錐切除術が必要である。

参考:子宮頸部上皮内腫瘍(CIN) _ 今日の臨床サポート – 最新のエビデンスに基づいた二次文献データベース.疾患・症状情報

④2024/4/25:転院後再検査

イレギュラーだが、③までの病院は個人的にはあらゆる対応が遅く手違いも多かったため、子らを分娩した東京医大病院に転院した。

転院にあたっては③の病院からの紹介状を発行してもらい、コルポスコピーの結果を持参してゆく形だった。

担当医はレーザー治療施設のある浅草・佐々木医院の若い医師。

転院元の病院ではHPVタイピング検査は未実施だったため、こちらで実施してもらうことに。

今回コルポスコピーではなく細胞診で大丈夫とのこと。

結果はおよそ2週間後にヒアリング。

⑤2024/5/9:再検査結果ヒアリング

HPVタイピング検査の結果、ハイリスク型の18,39が見受けられたためレーザー治療を推奨された。

リスクにおいて18は2番目、39は6番目のウイルスにあたる。

これまでの研究で、子宮頸がんでは特殊な症例を除き、HPVの持続感染が原因で生じる異形成(前がん病変)を経てがん化することが明らかになってきました。HPVは現在100種類を超える型に分類されていますが、その全てが子宮頸がんの原因になるわけではありません。主に子宮頸がん発生に関連するHPVは13種類(16、18、31、33、35、39、45、51、52、56、58、59、68)であるとされハイリスク型と呼ばれています。

参考:ヒトパピローマウイルス(HPV)感染|KOMPAS

18型は特に変異リスクが高く、1年以内に癌に移行するケースもあるため早急に治療をとのことだった。

担当医の本所属病院である佐々木医院(先述)に紹介状を発行してもらい、次回レーザー治療を実施する運びに。

レーザー治療によって完治できるかどうかは不明で、経過によっては2度の治療が必要になる可能性もある。

また、治療を行ってもおそらくパートナーがウイルスを保持しているだろうから再感染となる可能性があり、それを予防する目的としてわたし側の子宮頸がんワクチン接種は推奨、および場合に依っては男性側にもワクチン治療も可能とのことだった。

ただ、治療後の経過によって後の対処は変わるため、追々の対処となる。

⑥2024/7/12:第1回レーザー治療実施

不正出血が続き、これまでに4回リスケを行った結果当日となった。

転院先の病院で日帰りでレーザー治療を実施。

以下は、配布された書類に記載の内容。

<手術の目的>

子宮頚部の細胞診・組織診で異型細胞(異型上皮)を認めた方に行う手術。この手術により、病変部位をCO2レーザーで焼灼し異型上皮の増殖をおさえる。

<麻酔方法>

麻酔を使用しない。

<手術方法>

子宮頚部をCO2レーザーで焼灼する。

焼灼断片からの出欠部位を確認し手術終了。

手術時間は約15分。

<起こりうる危険性・合併症>

1.出血:子宮頚部を焼灼後、血性の帯下が2か月間続くこともある。

2.感染症:焼灼部位(やけどと同じ)から細菌などで感染すると、発熱や腹痛の原因となることがある。感染予防として手術後に抗生剤を投与。

3.再燃率:HPVによる感染により発生した場合、現存からの再燃率が10%弱ある。

実際の手術手順と体感↓

1.コルポスコピーを実施し、その場で結果を観察。状況は変わりなく、同時にポリープ検査もしてもらい、腫瘍などはないことを確認。

異型については、想定よりも頚部の奥深くまで見られるため、なるべく開いた状態でレーザー治療を実施することに。レーザー前に麻酔目的で座薬を投与。

2.レーザー治療を実施した。

CO2レーザー中は光線が目に入ることを防ぐためゴーグル着用、および焼灼されたウイルスが飛散しそれを吸引することで咽頭がんリスクも高まるため、吸引設備を使用とのことだった。(この点は初めて知った)

子宮頚部は一般には痛みの感覚が鈍いと言われており、それゆえ麻酔不要に同意したが、強めの生理痛のような感覚を伴う手術であった。(婦人科系の診療全般にいえることだが、我慢できないほどではない不快感と、内臓をじわじわ弄られる鈍い痛みに近い)

自分の場合、頚部奥まで病変が見られたため「少し痛いので、きつかったら教えてください」と事前に断りがあり、術中も医師は何度も大丈夫かどうかを確認してくれ、治療後には「痛みに強いですね」と労ってくれた(個人的には痛みに強いというよりも痛みを今更訴えたところでどうしようもない&治療するのが最善のため耐えただけだった)

3.術後には止血処理を施され、以下を処方され帰宅。

・セフカペンピボキシル塩酸塩錠100mg「SW」 …4日分

・アドナ錠30mg …4日分

・トランサミン錠250mg …4日分

・ビフロキシン配合錠 …14日分

・チョコラA錠1万単位 10,000単位 14日分

1-3まで全体の所要時間は、間の待ち時間含め2時間程度だった。

⑦2024/7/19:レーザー治療の経過観察

自宅での術後経過メモ:術後2日間は出血なし、3日から焼灼後上皮がぽろぽろ排出される程度。その他は通常の不正出血のみ。

来院しての結果ヒアリング:再度問診があり、経過は良好とのこと。

傷の治りも通常より早く、不正出血以外の出欠はないため再度止血剤を投与するのみとなった。

次回は9月初旬に再度経過観察となる。