娘と息子の寝かしつけの時間をずらせば良いという超初歩的なことに気付いた今更。

でも、少し早めに寝かせた息子は娘より早めに目を覚まして泣くので、娘は寝起きで息子に嫉妬することになった…

難しい。

焦らず、時間が経てば姉弟仲良くやれるだろうとは思う。

だけどなるべく昔の思い出が寂しさで色付かないようにしてやりたいと願う、エゴな親心…

息子、リンゴの果汁を与えたら50ミリリットルを一気飲みのすえ、その後の母乳を嫌がった。

娘より明らかに食い気が旺盛で笑ってしまう…だが乳はのめ。

寝かしつけのとき、息子に娘と子守唄をうたったら、近くで聞いていた娘の顔がみるみるけわしくなり、くちびるが「へ」の形になり、あからさまに嫉妬しており、更にそれを我慢しているのがわかって、得も言われぬ感情と愛おしさで涙がちょちょぎれた…

配慮のない自分を殴りたい。

すぐ行くからねと、まどろんだ息子をベッドに下ろして娘のところへ。

いつもなら置くとすぐに泣く息子が、今日は最初から深く眠ってくれ、娘との時間がゆっくり取れた。

寝入りときにはいつものにっこり笑顔も見られた。

息子にも後でお礼をしよう…

思い返すと、娘の可愛さがヤバすぎて、彼女が生まれた瞬間から細胞がなんかずっとパニックになっているようだ。

それまでに経験したことのない怒涛の感情がリミッターを破壊して、おかげで今も穏やかなときでさえ内心ずっと「ギャーーーッ(カワイイ)」となっている。

ママ〜!ママママママママママママママママママママママママママママママママ!!!!!

だけで全部言いたいこと伝えてくる娘、ひょっとして天才では…

タイトルの変更

太陽は要らなかった。

だけど夫と出逢い、娘や息子が生まれて、今やわたしの内面はびっしょり湿度を帯びて、彼らがそれを晴らしてくれている。

生は不思議だと思う。

”こんなことをしている場合ではない”のに、まさにその”こんなこと”によって苦しみながら幸福にあっぷあっぷしながら生きる羽目になる。

小悪魔のような娘と、小鬼のような息子は今日も元気で最高だ。

永らく筆沙汰していたけど、今日から少しずつこちらも再開する。

娘が、寝る前に大好きなミッフィーのぬいぐるみを自分の隣に寝かせて、布団をかけてやり、うまくかからないので一生懸命向きを調整するなどしてふかふかにしてあげている様子を見ていたらなぜかダバーッと泣けてきて夫に心配された(正確には、本気で心配されたのではなく面白がられた)。

娘を見ていると、優しさは、元々心の中に核があるものというよりも、最初は生活様式の真似事から端を発して、それが心に小さな灯のように宿るものなのかもなと思う。

娘がしていることは、まさにわたしがかつての娘や今の息子にしていることの真似事のようなものだ。

そして、それをしているとき娘はとても楽しそうで、熱中しているように見える。

優しさの原型とは、深い理解や倫理への探求というよりも、自分がしてもらったことを他人にも施したらなんとなく心地が良かった、というような経験を通して作られていくものなのかもしれない。

だから、この子が優しく居られるかどうかは、やはり親にかかっていると思うし、親の努力で優しさのきっかけを提供できたとしても、その先それをどう育てるかは本人に委ねるところが大きい。

居られないとしたら親の所為だし、居られるとしたら本人の功ということだ。

…みたいなことを思いながら、娘が着実に成長してきているのだなと知って切なすぎて30分ほど静かに静かに泣いたので、朝から目がしばしばする…

息子が生まれて一月が経った。

夢のように美しくて、毎日溺れるような幸せの元で過ごしている。

何度も言うが、自分にこんな生活が訪れるとは…

娘は、夫にかなりなついた。

そしてこのブログタイトルのように少し粗野に。

可愛くて仕方がないのは2人とも同じだが、新たな発見として、子どもは同種の異個体ではなく、それぞれがまったく新しい世界そのものだった。

娘が可愛すぎて、この子ほどに愛せる存在など果たしてあり得るだろうかと、わたしは不安だったのだが、恐らく杞憂で済むだろう。

息子が生まれて、まったく新しい脳の領域が開花したように、これまでになかった息子という概念が生まれて、これからもきっと育つだろう。

娘に対する愛おしさと比較しようと試みること自体愚行だった。

ほんっとにかわいいなぁ…

お乳を飲み終わって眠くてたまらないのにお乳にしがみついて離れない息子よ。

貴様は予想以上の可愛さだわ…