次女のお食い初めを漸く行った。
今回は初めて自宅で、過去の口上など思い出してたどたどしくも執り行い、成長とこれからの健康を願う。
初めて口にする味の数々に、目を白黒させつつとんでもない顔をしながら応じてくれた次女。
愛しているよ。
My little Sunshine, Star, Sweetie
次女のお食い初めを漸く行った。
今回は初めて自宅で、過去の口上など思い出してたどたどしくも執り行い、成長とこれからの健康を願う。
初めて口にする味の数々に、目を白黒させつつとんでもない顔をしながら応じてくれた次女。
愛しているよ。
赤子、目がつぶらで眉のラインがすうっと伸びているので、時々メンフクロウに似ている。
娘、以前までは息子が「見てみてー息子くんのこれ、いいでしょ!」と言うと「娘ちゃんだって●●持ってるもんね〜」と張り合っていたが、最近「へー、いいじゃんカッコいいね!」とニッコリ笑いながら褒めるようになっており、家庭内でもコミュニケーションの発達や家族間の距離感の複雑化を感じる。
怒涛のクリスマスイブと翌日を走りきった。
イブの日は早めに迎えに行き、お家でケーキ作り。
つまみ食いしまくる息子はしっかり目にいなされ、娘は飾り付けに熱中し、そうしているうちに夫が早めに帰宅し、クリスマスのディナー。
翌朝はサンタさんのプレゼント開封。
鉄板だが子ども達は楽しんでいたように見えた。
上の子2人は、昨日は着飾って保育園のクリスマスパーティーに出かけていった。
この子たちにとっては何もかもが一度きりの経験で、来年は来年の新しさがある。
娘も息子も、ようやく血で血を洗う喧嘩をしなくなってきたのでケーキ作りに踏み出せたのがありがたかった。
最近よく思うが、親自身がイベントを楽しむことは非常に大切である。
あれをさせてやりたい、ここに連れて行ってあげたい…こういうエゴがプレッシャーにかわり、自分は今怖い顔をしているなと思うことがあって反省する。
イベントごとでは、極力それがないように、何でも楽しみに変えて、子らが安心できる笑顔でいられる母でありたいものだ。
赤子の歯の生え方が面白い。
2ヶ月ちょっとから八重歯だけが覗き始め、今は奥の臼歯からぽつらぽつら見え始めている。
なのに前歯はからきしである。
鬼子なの?
可愛すぎて狂っちゃうわ…
昨日は冬至。
年に一度のゆず湯の日で、夫が得意先からもらってきた子どもの頭より大きな柚子を浮かべて湯を張った。
赤ちゃんを抱くように優しく抱きしめる娘と、異形の姿にビビり散らかす息子。
下の子は少し浸からせる程度だったが、季節の行事はやはり風情がある。
子どもたち用の クリスマスツリーの飾り付けを任せたら、ピンクや青でとんでもないチカチカする代物が出来上がった。
娘がトナカイになり、息子をサンタに仕立て上げてソリでクリスマスプレゼントを届けてくれるまで演っていた。
おやつの時間がきて、息子くんサンドイッチたべる?と聞いたら「息子くんじゃない、さんたさん!」と訂正されて笑ってしまった。
次女は本当によく笑う。
元来の性格というのもあるだろうが、わたしが感じるのはやはり、親の”慣れ”が恐れのなさを生み、それが我々の接し方に生きていることの影響である。
だからこそ、安全には特に気を配らなくてはならない。
三人とも、健康優良で大きな怪我なく大人になれるように。
長女は、もちろん紛れもない愛しい我が娘であり”子ども”なのだが、我々の唯一の仲間であり親友だな。
という話を、夫と昨晩していた。
この話を娘にする必要はないし能動的に伝えることはないだろうが、書き留めるだけ留めておく。
我々は所謂授かり婚で、娘が居ない頃の2人はままごとのようだった。
彼女の存在がきっかけで我々は家族になり、激動の数年を生きた。
彼女を守ってきたつもりだが、この稚拙さを彼女に許されたことが、実はとても多いと思う。
というよりも、許さざるを得ない唯一の立場の者なのだ。
実際、下の子たちに優しさを示す機会も、娘が一番多い。
だから我々は、彼女をこれからも最も優先的かつ最も手厚く守らねばならない。
不仲になることも、あるかもしれないが、そうだとしてもいつでも最も先に帰ることのできる心安らげる場所で居続けたい。
育った時に掛ける言葉は本当に一つしかないだろう。
夫と何の迷いも議論もなく、すぐにこれと思い至る言葉である。
「ありがとう」
最近、赤子のねかしつけでよく歌う曲のメモ↓
・こんこんこやまのこうさぎ ※某アニメで流れる子守唄だが、メロディも長さもちょうどよい
・大塚愛「黒毛和牛上塩タン焼680円」 ※歌いやすい
・たき火 ※童謡
・うさぎ うさぎ ※童謡
・Jason Mraz “Better with you” ※英語が平易でシンプルなので聞かせやすい
気が向けば歌が口を突いて出るようによく歌う母で、子守唄のレパートリーには正直苦労しない…