息子、話しかけると今にも返事しそうな豊かな表情で熱心に耳を傾け、無言またはエヘヘェ…と笑い返してくるだけなの可愛すぎる。

わかるよわかるよ。

とりあえず、生まれてきてくれてありがとね。

息子の頭髪、くせ毛で薄くて生え方がどこかまばらなので、完全に実父の家系だなとわかりやすい。

一部だけ長かったりする不揃いな後ろ髪を揃えたら坊っちゃんになった。

かわいいね。

かわいいねぇ…

子どもの”悪態”をどこまでスルーするか

娘の最近の言動で、いわゆる”悪態”(あまり意味はないが、ネガティブな意思表明や攻撃的な感情の表出など)が増えてきたなと思うことが多く、それに対してどのように対応するのが良いかを非常に悩んでいる。

「も~面倒くさいなぁ!」

「弟うるさい!」

「黙れって言ってんでしょ!」

「あっちいけ!」

明らかに、家庭内で誰も使わない言葉なので保育園やメディアで触れてきた言葉だと思うのだが、こういうのをどこまで気にするべきだろうか。

本人が本音で思っているとしたらそれもそれで仕方ないが、おそらくそうではないケースも多い。

なぜそう思ったの・言ったの?と尋ねて本人の気持ちをより詳しく自白してもらうと、結局「ママともっと遊びたかった…」「お気に入りのおもちゃを取られるのが嫌だった…」のような、いわゆる当然の気持ちに辿り着くことも。

あるいは、「娘ちゃん喧嘩したいの!」と言うなんとも闘争的な表明に帰結することもあり、対応(そもそもこちらで”対応”が必要なのか?ということ自体をふくむ)に悩んでいる。

今は一つ一つの言語表現を咎めたり訂正させるより、一旦やんわりとそういう言い方は悲しいと伝えつつ、本人の気持ちを他で代弁する表現を探すことが必要だと思っているけど…正直、正解がわからない。

本人の動かし得ぬ性質として”ある程度の攻撃性”があるとしたら、こうしたことを親が諭し続けることが、無為なストレスとなるだろうか。

むしろ親はあまりこういう点にこだわらず、親以外の他者によるフィードバックで学んでもらう方が良いだろうか。

娘の言動が最近また少し乱暴さを増し、やはり寂しがらせているだろうという考察(事実年末から忙殺されていたため)から、なるべく諭すトーンを優しく穏やかにと心掛けているのだが、今度はいわゆる「さては調子に乗ってるな…」という状態になってきた。

何歳くらいになったら、所謂”して良いこととよろしくないことの区別”が頭の中で一応つくようになるだろうか。

正直、今の娘の状態を見ていると、「親への敬意」「か弱き者には優しく、理不尽も許すこと」といった物事の概念を理解すること自体かなり厳しいのではないかと感じる。

だからこそ、今はとにかく何かを強制したり”ダメ”を植え付けることはせず、なるべく伸び伸びやらせる。

ただ、本人が約束したことを守らせること(おやつを食べたら宿題をする、テレビは1日1回まで など)といったことは、口調や態度はいかに優しかったとしても極力守らせる方が良いと思い、そうしている。

まぁ総合的に「大人として子どもに対応する」が求められるが、自分も未熟な側面があり常にできるわけではないところが難しい。

幼い頃、母から「えらいねぇ」「いい子だねぇ」「すごいねぇ」と褒められすぎて、まぁ事実わたしは大人が喜ぶことをしたし優等生だったし知能もわかりやすく高かったため、そういった褒められる以外の言動を取ることが億劫になり、一度の本音で親をドン引きさせて「えりんは怖い子」「こんな子じゃない」認定された経験がまぁまぁのトラウマなので、娘にはなるべくこういった誉め言葉は使わないようにしているのだけど、それも塩梅かもしれない…

小さい子の病気や怪我でなくなったニュースを見る度、娘や息子でそれを想像して、半日ほど動悸や胃の痛みで苦しむ。

我が子はもちろんだが、全世界の子どもは末永く健康で幸せで、なにより無事で生きて欲しい。

娘のサイズアウトした服をどうしても捨てられなくて、まだきれいなものは息子に着せたりしているけど、そうするとあっという間にまたサイズアウトする。

写真を見返しながら、被りものの多さに「息子には息子のものを買ってあげたら良かった…」と思い、また同時にまったく同じアングルのショットなど偶然見つけて、時を超えた姉弟ペアルックに胸が高まったりもする。

本当に2人がかわいい。

一生健康で幸せで生きてね。

土日、子ども達をどこにも連れて行けない日が続いていて、そろそろ気の毒になってきた…

今週末は、金曜から娘が高熱に。

インフルエンザは発熱からある程度の時間を空けないとウイルス反応を検知できないため、また本人にある程度活力や食欲もあったことから土曜に通院の予約を入れた。

土曜の朝に熱を測ると、36.5度。

その後上がる気配もなく本人も元気だったため、この時期の通院リスクを考慮して自宅で様子を見ることにした。

こういう形で、「どうしてもどこにも行けないわけではないが、大事を取って自宅で療養」のスタイルが11月以来続いている。

深刻な体調不良でなくてなによりだが、わたしがもう少しうまくやれたら土日を楽しく過ごせるのだろうかと反省する…

昨晩のことだが、入浴前の娘が

「今日は指先にお傷があるからお風呂に入ると痛いと思う…」

といいながらぽろぽろ泣き始めてしまい、そのあまりの可愛らしさに呆然となった。

怪我にお湯が沁みる恐怖でお風呂を嫌がった記憶が、わたしにもある。

今はちょっと痛いだぁ?そんな細けぇこたぁいいんだよ!みたいに、気にも留めずザーッと入ってしまう。

この時期にしかないこういう必死な感性を、親だけが見せてもらえるのだ。

本当に時間が惜しい。

かなうなら、1日60時間もらってこういう瞬間をひとつひとつじっくりと集めていきたい。

そんなことは無理なので、愛おしさとたまらなさを耐えて抱きしめながら風呂に入った。

2024年開始:昨年の振り返りと挨拶

謹賀新年。

昨年は(正確には誕生は2022年)息子が生まれ、ほにゃほにゃの赤ん坊から意思持った幼児にさしかかるまでの年月を駆け抜け、娘は健やかに大きく成長した1年だった。

わたしは、親としては娘のときと比較して、良い意味でも悪い意味でも余裕が出たように思う。

さぼっているのではないが、雑にはなった。

必然的に日中は人手が足りず、息子は娘の0歳児期ほどは構ってやれていない。

それでも娘が4月に登園を始め、ぐんぐんコミュニティでの生き方を習得し、11月には2人揃って大規模園へと転園。

事実上コロナによる自粛期間が明けたことで様々なサークルやならいごとなど集団での行事も復活し、娘の時期には開催されていなかった地域や幼稚園・スクールなどでの0歳児イベントに顔を出すこともできた。

娘の昨年の写真を見直すと、あどけなさが際立っていて泣けてくる。

今年1年、寂しい思いも沢山させただろう。

一時的に弟を嫌がったり嫉妬したり、赤ちゃん返りした時期もあったが、それでも優しく成長してくれた。

人と関わる機会が増えたことで、思い遣りの示し方も豊かに身に着けてくれたと感じる。

最近では、わたしが小さく「痛っ」とつぶやいた時など真っ先にかけよってきて様子を見に来たり、泣いている他所の子を慰めたり、友達のことはハグしたり親しさを示したりしている。

好きなものやコトも増えた。

アンパンマンはほぼ卒業し、恐竜やサメなどの大型動物は今も好み、図鑑を読んで欲しいとよくせがんでくれる。

お絵描きで個性的な色使いの絵を描いたり、ハサミを使って工作をしたり、料理を手伝ったり、自分のこだわりを持ちながら掃除片づけをしたりする。

最近では、幼児用タブレットのゲームにハマり、デザインや配置系のアプリを重点的に楽しんでいる。

弟は、近影でいうととにかく掃除機のように何でも良く食べる。

新生児期から変わらないのは、悪意や甘えのような、ダークでスイートな感情のなさ。

常に好奇心と食欲に全振りした行動動機で前のめりに動き、それに届くとうはははははははwwwと楽しそうに笑い、叶わないとなるとエシ!!!!!!と個性的な泣き声をあげる。

3月初旬に開始したヘルメット治療は無事完了し、相変わらず面長だが頭蓋骨のフォルムは整った。

特に教えているわけではないのに、型はめパズルができるようになっていたり、一人で絵本をめくって静かに読んでいたりする。

ずっと抱かれているよりも自分でズンズンどこへでも出向き冒険するのを好むが、部屋の中に居ると気付けばわたしや娘の足元に居る。

触れ合い遊びは、ずっと無邪気で心地よさそうに楽しむ。

ママ、マンマ~だけは7か月ごろから言うが、それ以外はまだ話さない。

こうまでして、2人の個性が異なるものかと思う。

病院で医師から言われた「女の子はめっちゃ大人。男の子はね、ずーっとお猿さん^^」という言葉を今も時々思い出す。

2人とも、元々内包する才覚は十分だと思われるので、これからもわたしがそれを潰さぬよう、注意してみて伸ばしていきたい。

ここまで読んでくれたもの好きが果たして居るのかどうかわからないが…最近時々、昔を思い出す。

4年以上前、わたしが好き勝手きままに生きていた頃や、その時代の交友関係のこと。

実はSNSでかつて使っていたアカウントを使わなくなり、年始の挨拶からも遠のいて居るのだが…怠っているのでも嫌いになったのでもない。

身を置かなくなったコミュニティにいつまでも顔を出すのはやめようと、自分なりに考えて決めた結果の今である。

わたし自身は、自覚する限りとくに変わっておらず、きっと街で出逢えば久しぶりに話がはずんだりもするのだろうが、今そういうことをする時期ではないな〜と、なんとなく、しかし確信をもって思う。

子らの存在によって確変的な幸福を得て、わたしの人生がそれまでとは異なる方向へと大きく舵をきったのは間違いない。

それでも友人らのことはずっと友人だと思っているし、大好きだと思った人達のことは今も大好きだ。

皆、末永く幸福で健やかで居て欲しい。

2024年も、良い年になりますように。

2024年も、こちらの記録は徒然とつけてゆく。