お手洗いで苛々しながら仕事のメールをスマホで鬼打しているときに限って娘が「ねぇー?!えりんーっ?!だいじょうぶー?!」などと叫んできてすべて見抜かれている。

娘のドヤ顔が可愛すぎて…積み木の積み方褒めたら永遠に同じやり方で積もうとしてて、ほんと成長うれしいけど、一生今のままの姿で居てくれて良いんだよ…?

娘に今年初さくらんぼを与えて感想を聞いたら

「おいしい…………とてもおいしい!」

と言い直していて愛しさが溢れた…

前までは「アリさんたくさんいるねぇ」だったのが、たくさんのアリを表現するのに目覚めた娘「わぁ…!アリたち!!!」

娘、本当に可愛くて、休日は親が二人揃って手に余裕がありわたしが全呼びかけにすっ飛んでゆくので「ねぇねぇえりんー!」の回数が増えて最後の方はわたしがはぁい?と顔を近づけてから「うーん」と何を言うかを考えていた。

全力でキスした。

今日(昨日だが)でかけた先で出会ったLOVOTに娘が懸命に話しかけて「このこ…かわいいねぇ」と手を握っており、貴女が一番かわいいけれど、もう何かを可愛いと思うorそう表現するまでに知性が発達したのだなと思ったらせつなすぎて泣いた。

貴女が世界で一番可愛いよ!!!!!

娘が寝ながら咳き込んでいて、ふとんかけたけどはねのけてしまうし、明日の朝が心配だし、今つらいなら普通に可愛そうすぎるし、起こしてお茶でも飲ませるのか、今体勢の向きかえて薄手の毛布かけて様子見で大丈夫なのかで永遠に迷っている

母が実家から娘に会いに来た。

娘は「ぐらんま、ぐらんま~?」と呼びかけ、まったく泣きもせず、終始楽しそうにしていた。

抱っこして貰ったり、絵本を読んで貰ったり、散歩に連れて行って貰ったり、一緒におやつを食べたり、まぁ人の多い所には行けないからささやかなものだけど、本当に楽しそうだった。

母も、楽しそうだった。

母がホテルに戻ってからも、暫く「ぐらんまは?」「ぐらんま帰ってくる?」と聞いていた。

シンプルに幸せしかない1日だった。

母は明日、明後日と泊まる予定だ。

何か良い思い出が作れたらよいのだが…ちょっと考える。

娘がわたしと夫との会話見ながら突然顔を覆って「なさけない…!」とか言い始めて朝から腹よじれるくらい笑った。

※『トレジャー・プラネット』のDr.ドップラーの台詞

子育てのメリットについて

真面目に育児が楽しい…。

大変さばかりが取りざたされ、「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさみたいなもの、つまり言葉を選ばず言うと親にとってのメリットみたいな部分は言われていない印象があるのでちょっとまとめてみる。

子育てのメリットについて。

1.子どもが可愛い

「は?」という感じだろうが、本当にマジでこれはもう外すことができなかった。

この点が第一に来ることはわたしの中で間違いがないため、”「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさ”と銘打ちながらやはり最初に書かなくてはならない。

まじで世界で一番子どもが可愛い。

以前も書いたことがある気がするが、わたしはそもそも「子ども」という存在は寧ろ嫌いだった。

弱いし、うるさいし、臭いし、汚い。

そのくせ変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり、総じてかわいくもない。

そういう存在だった子どもが、なぜ今これほどわたしの感情の大部分を占め、ありとあらゆる歓びの源になっているのかと聞かれると、正直わからない。

「生んでみたら死ぬほど可愛いかった」としか言いようがない。

この可愛さを知る限り、こんなに尊い出来事が人生にあったものなのだなと思わされるのが育児だ、今のところ。

2.人間存在について改めて学ぶことができる

二つ目のメリットがこれ。

わたしとしては、この部分も実はものすごく大きい。

子どもという無償の愛情を以て親に接してくれるか弱い存在が、日々成長し、出来ることがふえ、言葉を覚え、複雑な感情を体得してゆく。

この過程を間近で観察できることにより、これまで当たり前で気が付かなかった部分に改めて目を向ける機会が豊富に与えられている。

先で「変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり」と書いたが、これも子どもの知性の発達の成果の一つであって、かつては泣くと笑うしかできなかった存在が、笑顔の使いどころや言葉の言い回しを覚えていくといったそれまでの過程を知っていると、この狡猾さにすらおおいに感動したりする。

例えはいくらでもある。

それまで知らなかった概念を、まずは音の記号で認知して対象として知ること。

それを繰り返し自分でも口に出し、覚え、既に言葉を知る者たちのまえで使うことで、応用のすべも身に付けていくこと。

そして自分の主張や相手との交渉の手足として使うようになること。

嫉妬や苛立ちといった感情も興味深い。

それまでは「何とも思わない」から「なんとなく嫌」だった物事に、段々嫌な感情から執心し始め、泣くだけだったところから、「嫌」「やめて」といった言葉で拒絶するようになり、理由を問われて考える。

つくづく賢い生き物だなと思わされるし、原初的な感情が複雑に変貌していく過程に、どこにも不自然さがない。

そしてこれは、我が子だけでなく今生きるあらゆる大人が辿ってきた過程なのだ。

こういうことを日々学ぶ中で、わたしは娘という存在を以て、人間という存在が以前より少し好きになれていると思う。

3.新しい知識・コミュニティが形成できる

3つ目のメリットは社会生活に関するものだ。

子どもを通して、自分の知識や情報もアップデートしていかなくてはならないため、そもそも見識が深まるという点はありがたい。

子どもがいなければ知ろうとすらしなかった問題に目を向けることができる。

この問題は「子どもがいなければ知る必要すらなかった問題」とは少し違う。

自分以外の人間、少なくとも若い世代やこれからを生きる人達と関わる場面では必要・有意義だろうという知識が殆どで、そういう意味でこの知識には意味があると思う。

また、いわゆる「ママ友」「パパ友」といった、あるいはほとんどの場面ではそういう名目ではないにせよ、子どもを介して新たな交友関係が開いたりする。

その成員は教師、教育実践者、自治体のコミュニティ運営者、保育者、医療関係者、そして我々と同じ親だったりする。

今のところのわたしの観測範囲だが、子どもと深い関わりのある人達は精神的に余裕のある人、あるいは未来に目を向けて動く人の多い印象で、自分の未来がこの人達と重なることは光栄だと感じる。

以上が今実感している子育てのメリットだ。

子育てを楽しめないのでは、産むことが怖いといった不安のある人に何かの偶然で届いたりしたらいいなと思う。