娘の読書傾向

娘が好きな絵本は、以下3ついずれかの要素を持っている。

目新しく、読んだことがない本

娘は本が好きだが、最近は「良く知っている本」よりも「初めて読む本」に興味を示すようになってきている。

これまで大好きだったディック・ブルーナのシリーズや、まどみちお『くまさん』等はスルー。

良かれと思って持っていくと、「おしまいッ!!!」と閉じようとする。

図書館に行く頻度を増やしても良いかもしれない。

図鑑

図鑑系は簡単なものから写真多めの本格的なものまで、前々より幅広く何でも好きだ。

特に最近のお気に入りは『はじめてずかんシリーズ どうぶつ1、2』『じぶんでよめる さかなずかん』。

細かいところまで「これなにー?」と聞いてきて、答えるとたのしそうに復唱している。

「ほうぼう」や「はなごんどう」などマニアックなものを覚えている。

アンパンマンシリーズ

これはもうどんな話の内容だろうが本が小さかろうが好き。

ベッドにも持って入る。

アンパンマン、じつにおそるべし。

夫が娘に「あんたかわいいねぇ…」としみじみ言いながら頭を撫でたりちょっかいを出したりしている。

娘は親のベッドに連れてこられ、布団にダイブしたり、おそらくちょっとぶりっこのような素振りをしたりしている。

幸せが詰まった光景…

娘と雪

昨日は娘にとって人生初雪だった。

クリスマスもあまり派手な飾り付けはしていないし、正月もコロナで縮小気味。

絵本や映画で雪の存在を知ってはいるから、近々せめて東京あそびマーレのスノータウンでも連れて行ってあげたいと考えていた矢先の大雪、予想を上回る白銀。

仕事を終えて家に戻り、昼寝から目覚めた娘を窓のそばにつれてゆく。

みてみて雪よと告げると、一瞬不可解な顔をしていたのが、ぱぁっと合点がいったような笑顔になった。

我が家を出てマンションのメインエントランスに向かう道すがらも楽しそう。

通りに出て真っ白な世界を眼前にみとめたときには、驚きとワクワクの詰まった何とも言えない表情に。

「ゆーきだー!」

傘をさすのも危険に思えたので、2人で厚着して防止や手袋を装備して外に出た。

5分程度で帰宅する予定だったが、娘がジタバタとはしゃいで夢中だったので、可能な限り行きたいところまで行かせることにした。

車通りのない裏路地から公園へ、そこから住宅街へ。

ぎゅっぎゅと踏み固まる感触が新鮮らしく、足踏みするように歩く。

時々子犬のように空を見上げては、雪の結晶が頬や鼻先にふりかかるのを、目を細めて楽しんでいた。

きみはあと何回そんな可愛いリアクションを見せてくれるのだろうか…

世界を知っていくとこういう感動は薄れるものだろうが、わたしは娘と生きることで、そういう感動を再び味わえている気がする。

結局、20-30分程度歩き、カフェで温かいスープでも飲ませようと入店しかけたところで再び「ゆき!いやだぁぁゆき見る!」と駄々をこねられ、濡れて冷たくなりかけた格好そのままで岐路に着いた。

東京なのでせいぜい積もったところで5センチ程度だが、良い経験になった。

東京あそびマーレサンは…どうしようか未だ迷っている。

本日の娘まとめ

平和な一日だった。

ブランコに一人で乗れるように。

幼児用のブランコではなく、普通のブランコに乗りたがるので、介助して軽く揺らすなどした。

ちゃんと落ちずに座れており、5回くらい「ウッソ!?!?」と声が出た。

前に揺れるときは「(脚を)のばすー」、後ろに揺れ戻るときは「(脚を)まげるー」と、わたしが教えたアドバイスを復唱して、のばしてまげてをしていた。

ウッソ…まぁ危ないので当分一人じゃ乗せないが。

寒さをウザがる。

幼子あるある”寒さをモノともしない”時期が終わったのか、さすがに今日は寒すぎたのか、遊んでいて強風がふくとウザそうなしかめ面をして「さむいー!」とハグされに来る。

このまま抱っこする?!と申し出ると「下りる!」と即お断りされた。

でもハグされに戻るたびわたしが狂喜するので、途中からそんなでもないタイミングでも「さむいっ♡」とコートに潜り込んでくるようになった。

途中、抱っこされたまま寝たふりをし始めたときは焦ったし大急ぎで屋内へと避難した。


寝落ちた母のそばで安全に遊ぶ

夜の就寝直前、ベッドに運ぶ前にあと少し遊ばせようとリビングで娘を見ていたら、わたしのバッテリーが先に切れたらしく途中から意識がなくなった。

やべっ!!!と目を開けたら目の前にニコニコ笑う天使の顔が…あたい、死んだかと思った…無事で安全に遊んでくれていてよかった。

迎えの光景

娘が1歳になったあたりから、集団環境に馴染ませようと定期的に一時保育に通わせている。

補足:「一時保育」について

一時保育とは、1日や数時間といった短期間・短時間で一時的に保育を行うサービスです。一時保育は乳児や幼児を預かるため、「一時預かり」や「一時預かり事業」とも呼ばれます。

一時保育とは|利用の流れ・保育士が注意すべきこと _ 保育士を応援する情報サイト 保育と暮らしをすこやかに【ほいくらし】

そこでのお迎えの様子が少しずつ変わってきている。

通い始めたばかりの頃は、迎えに来たわたしを見つけると泣きながら「えぁぁぁー!」と逃げるように駆けてきたものだった。

慣れてからは、登園鞄のそばで保育士さんにコートを着せられながらぺたんと座りこんで待っていることが多い。

こちらを見ても「あ、来たの」といった感じで感動が皆無。

今日は、迎えに行ったタイミングで昼寝から覚めたところだったらしく「おはよー」と笑って駆け寄ってきた。

保育士さんが「他の子が泣いているときに、近寄って行って『大丈夫?』って聞いてくれていましたよ」と教えてくれた。

なんか泣いた。(わたしが)

他人に優しくできる賢さを身につけられたら良いな。

娘が公共の場で、

どーなっちゅ!!!

どーなっちゅ!!!

と絵に描いたような駄々をこねてきてひたすらにかわいい…

ドーナツのお店さっきとおったもんね…帰りに買ってあげようね…🍩

娘、『カールじいさんの空飛ぶ家』を「かーじぃしゃんとしょーとーいぇ!!!!!」という。

じゃがいも、は「がじゃいも!!!!!」という。

冷たい、は昔「ちゅんばーい」だったしりんご、は昔「らぃこん」だったけどもうそのまま言えるようになってしまった、鬱だ。

サイト名の由来と娘に抱く理想

聞くといつも娘を思い出す曲がある。

”Bad Girl”の元ネタと親としての意図

JUDE『Bad Girl』

(出展:https://www.youtube.com/channel/UCcDfIPXGrm_M2i0bGBuxMng)

東京生まれのぶっ飛んだ女

ロックンロールが大嫌いなんだ

大好きだよ Bad Girl Bad Girl Bad Girl Bad Girl もう離さないよ

小っちゃい時から めちゃめちゃかわいい

やることなすこと 神がかってるよ

チャイコフスキーとヘビーメタル好き

きょとんとした顔でケリを入れる

JUDE BAD GIRL 歌詞

(出展:Jet Lyrics – Fast, Simple, and Accurate Searchable Lyrics Database)

東京生まれでぶっとんでいて、小さい頃からめちゃめちゃかわいくて、ロックでは鬱陶しげな顔になる。

チャイコフスキーとヘヴィメタでは安らいだようになり、踊り始める。

足癖が悪く、わたしの顔面にも笑顔でケリを入れてくる。

確かに…確かに…!ということでこれがサイト名の直接の出展にはなる。

もちろん”Bad Girl = 悪いコ”に育って欲しいという意図があるのではない。

意図は、むしろ以下に近い。

「あなたが”Bad Girl = 悪いコ” だったとしても、永遠に大好きよ!」

親であるわたしはどういうコだったか

わたしは、幼い頃から「良いコねぇ!」「なんて良い子なの!」「完璧!」とほめそやされて育った。

当然内面には”良いコ”に当てはまらない側面も人並みにあり、しかしそういう側面は器用に大人から、というより主に母からは見て見ぬふりをされてきたように記憶している。

「良いコだと思っていたのに」「良いコのあなたがどうしてそんな口のきき方をするの」

母なりの教育方針だっただろうが、不穏なことがあるたびこう揶揄された。

それで「良いコ以外の側面は、母には見せない方が良いのだな」と悟ってからは、悪行は主に外で、親に漏れぬ形で、親に漏れぬのを逆手にとり恐らく周囲の子どもよりも派手にするようになった。

ある時期にはそれで結構荒れたし、道も綺麗に踏み外してきた。

親元を離れる=解放でしかなく、地元を出てからは随分と地元とは疎遠に暮らしてきたと思う。

全てが悪い展開だったとは思わないが、”良いコ”を強制しないことで過剰な軋轢→解放の変態っぽい図式を回避(緩和)できるのでは?と考えている。

だから娘には、別に幼い頃のわたしほど「良いコじゃなくっても大丈夫よ→悪いコだったとしても、永遠に大好きよ!」と今から思うのだ。

娘になってほしい姿

随分と懐の広い臆病なモットーを掲げたが、かといってわたしにも親として娘に理想を抱かないわけではない。

娘には、生涯幸福で生きて欲しい。

悲しいことがあっても辛いことを経験したとしても、無理矢理産み落とされたこの世で楽しく生き、愛のようなものに触れ、できれば笑顔で歓びと共に生きて、生が終わるときには「生まれてきてよかった」と感じて欲しい。

そのために、娘には”強く”なってもらう必要がある。

強さにも色々あるが、親として、身体的性女性である娘を助けるだろうと考える強さは今のところ以下の通りだ。

「根拠なき自信と楽観」

人生にはままならない場面がある。

原則何事も一生懸命やるという前提だが、頑張っても報われず成果が得られなかったり、深く信頼していた人に裏切られたり、全ての善意が裏目に出たり、とにかく掲げた理念や行動が結果に結びつく論理性から外れた動きに翻弄される事は、生きていると必ずある。

そういう場面で絶望せず生き続けられる程度には、自信を持ち、楽観的でなくてはならない。

最終的に、どれだけ人に迷惑をかけたとしても、失敗の先で「まっ!ええか!」と思うことができて、自分が生きることを優先できる人で居る必要がある。

自分が幸福でなくては周りの幸福もないということをいつも心のどこかでは知っていなくてはならない。

まぁ、それを支えるが幼少期の親の愛情に他ならないだろうから、今まさにわたしが注力している部分でもある。

「知性と好奇心」

人生は楽しい。

この楽しさは、知性と好奇心とを以て一層、というかほぼ無限に拡大・深化することが出来る。

知識や教養を身に付けることを軽んじることなく自ら学び続けて欲しいし、心の琴線に触れたものには恐れず飛び込んで、それを自分のものにしようと試みて欲しい。

そうして、親元を離れた後から彼女の人生に沢山の色がつけば良いなと思う。

わたし達は必ず娘より先に死ぬ。

自立した先で地道に娘を支え続け、美しさや優しさを付与してくれるのは、こうした知性や好奇心に他ならないだろう。

「野生」

人生は、人の生であるが、人のみによって構成される生ではない。

文明化された時代だが、やはり人以外の物事…空気や大地・水や木々・動物たちとの生もかなり大きな部分を占めているし、なにより生まれるときも死ぬときも人は孤独なものだ。

したがって、どこかで文明化されきっていない「人」を必要としない野生のような部分を残しておくことが、快く生きるためにはかなり重要だと考える。

たとえば、わたしは自分自身の、見知らぬ山中に置き去りにされても1ヶ月木の実や食糧を調達しながら生き延びられそうなタフさが好きで、まぁそんなことをする機会はないかもしれないが、これが日常生活の快さにもかなり直結している気がする。

人の多い場所では雑木林に似た静寂を感じられ、大地や空気と一体になる感覚を知っていること。

誰かと楽しく過ごすことと同様に、一人でも楽しく居られること。

こういう感覚が、絶対的に孤独である生を支えてくれるし、人と生きるうえでも彼女の助けになるだろう。

ここまで書いて改めて思うが、親はこういう強さを身に付けさせるために今まさにやるべきことが非常に多い。

そして、羅列したこれらの事柄はやはり、わたしの知る“Bad Girl = 悪いコ”の実像となんら矛盾しないものである。

だからこの曲も時々聞かせていこう。

娘がかわいい。

ひとさし指に、どこかから拾ってきたらしい少し大きめの埃をひとつくっつけたままずっと楽しそうにニコニコ部屋の中を散歩している。

それちょうだい?と声を掛けると、「やっ」と言って逃げてゆく。

はぁ…かわいいな…