今年最後の通園を終え、本日冬休みがスタート。

朝から娘と公園に出かけて、懐かしさに泣きそうになった。

しかし寒すぎて1時間で撤退…

2人とも疲れが溜まる頃ではあるので、年末年始は生活のリズムを整えつつなるべくゆっくり過ごさせようと思う。

息子の食べ方、まさに毎回「必死」という表現が最適の食べっぷりでかわいいのだが、ひょっとして足りていない?

今朝はおかかパスタをおかわりしたくて両手で机をバァン!!!した挙げ句「あむあむあむあむあむあ〜!!!!!」と完全に喋っているノリで抗議してきて、たまらなかった。

最近の悩み

夫のことは好きだし面白い人間だと思っているが、同じ物事に対する物事の感じ方が180度違うことで、子育てにおいて噛み合わない場面が時々ある。

夫はよく、わたしが息子(弟)を褒めたりする場面で「娘が可哀想」と言う。
夫自身は娘の前で決して息子を可愛いとは言わないし、褒めることもない。(思っていないのではなく、敢えて言わないようにしているらしい)
息子が生まれて、か弱きものにかかりきりになりがちなわたし自身のバイアスで、罪悪感からそういった夫の言動に居心地が悪いのかもしれないと思った時期もあったけれど、おそらく夫はこの傾向が強いと思う。

理解できないでもない。
自分に向けられるべきだった愛情が他人に向けられることへの不安や恐怖、寂しさ。
それを夫自身が感じるタイプだからこそ、娘の置かれる状況に対して反射的に「可哀想」と感じるのだろう。

夫とわたしとの物事の感じ方の大きな違いの一つに、他人の幸福(そうな様子)を喜ぶかどうかがある。
わたしは自覚するところによれば比較的うれしい方なのだが、夫はおそらくそうではないらしい。
夫自身の発言やふだんの様子からも、よくそれを感じる。(だから生きづらいだろうなとも…)

かつ、娘は大体において夫に性格が酷似している。
だから、夫の娘に対する「可哀想」は本当に辛い場面である可能性があるし、とくに初期などはそうだったかもしれない。
こういうことを理解したうえで、それでもわたしは娘にも息子にも隠さず愛情表現は行うのが良いのではないかと思っている。

成長して大人になった夫が今感じているようなことを大人になった娘が感じるとは限らず、親の接し方次第で、今の娘は大きく変容するだろう。
仮に似た精神構造を持っていたとしても幼少期からそのスタンスを植え付けなくても良いのではないかなと思うのだ。
夫自身の問題を勝手にあげつらって本人の了解も得ないのは多少不公平だが、他人の幸福を喜ばないというのは、幸福というものの総量が決まっていて、それを他人が受け取る分自分の受け取る分が減ると信じているからではないだろうか。
わたし自身が他人の幸福を喜ぶのは、シンプルにそれが自分の損に直結するとは思えないからにほかならない。
幸福は、既にあるところから貰ったり他人から受け取るものというよりも、自分自身でも創り出すことができて、さらに言えば、他人に幸福を与えることで自分自身が幸福になるようなものではないか。
綺麗ごとに思えるかもしれないが、突き詰めるとわたしはそう考えている節がある。

もちろんうちは長幼の序を重んじていて、何か順番を決めるときには、必ず姉からだ。
ご飯もお風呂も家を出る準備も、「先にお姉ちゃんね」と2人に伝え、そうしている。
ただ、2人が違う個体である以上、こういう理由から、褒めたり大好きだよと伝えたりといった愛情を感じさせる、その先の幸福を生むであろう言動については、わたしは2人に対して平等にしていきたい。
娘に、他人の幸福を見て不幸を感じるよりは、なんとなく嬉しい気持ちになるようになったら良いな、という、これもわたし自身のエゴであるし、夫の現在をある意味否定する結論でもあるのかもしれない。

現状として、娘は自己主張も我も強い方だけれど、時折優しさを見せてくれる。
息子のことも、今はせいぜい舎弟程度にしか思っていないかもしれないが、それでも可愛い存在として世話しよう、守ろうとしてくれているように見える。
一方でやはり寂しさもあって、わたしが弟のこと(大体生理的なイベント)にかかりきりになる時間が長いとつまらなそうに振る舞う時もあるし、おもちゃを貸してあげない、奪うといった言動に出る場面も。
総じて、娘は新しい存在にたいして順当にストレスを感じ(まったく感じないのも不自然だと思われる)、それを受け入れながら自分自身も変容し、より良く成長してきているのではないかなと思っている。

今後はどうだろう。

わたしの綺麗ごとだらけの実践が、娘を多少生きやすくしてくれたらうれしい。

ただ、何事も白黒ではない。

わたしのスタンスも完全無欠ではないし、夫とてそう。

良い具合にブレンドしながら、夫の感じるところによる夫の言動で、部分的にでも娘が救われることにも期待しているし、娘と息子2人にとっての生きやすさの素地を作れたらいいなと思っている。

娘は最近、泣いているときに原因やその根拠と思われる部分が解決しても泣き続けることがある。

曰く、「泣きたいから泣いてるの!!!」

それならまぁ…と、手を取って危険のないように配慮しつつそのままゆっくり歩いたりする。

時折声をかけたり、話しかけると普通に答える。

いまいち、正解がわからない…

最近は娘を歩かせて息子をベビーカーで登園させている。

今朝は珍しく終始娘が泣き続け、園についても泣き止まなかった。

抱きしめたり大丈夫だよと話して、その時はウンウンと頷くのだが、歩くとまた泣き始める。

園についても泣き止まず、ハグしてなだめてもますます泣く。

ふと顔を上げると、一つ上の歳の子が娘をじっと見ていた。

だいじょうぶよ〜と声をかけて頭をなでてくれる。

娘はその間も泣き続けていたが、その子はしばらくじっと見つめて手を握り、よし。いっしょにあそぼっか〜と言いながら娘を輪の中に連れていった。

優しさの中で生かされているなと思う…

今年も楽しかったクリスマス。

娘に寝入りしな大好きだよと告げたら「それだけ?」と聞かれた。

世界で一番大好きだよと言い直したら「うんうん」と満足気になった。

息子は、最近泣き方に遠慮が無くなってきた。

二人の健康と永遠の幸福を願う。

プレゼントは、2人ともキッズ用タブレットにした。

デジタルネイティブ世代、楽しんで生きておくれ。

先週よりは落ち着いていたはずなのに、安定して脳内で坊さんが全力疾走している週だった。

子どもたちが元気だったのがとにかく幸い。

火曜には義母が遊びに来てくれ、夕飯から翌日昼間まで滞在。

子どもたちと遊んでくれた。

夫もわたしも普通に疲れたが、こういう機会があるのはありがたいと思う。

昨日は2日間溜めた仕事や雑事で結局フルで保育園に預け入れ、本日は週末タスクを先取りして同様。

今は息子のあーーー!!!という雄叫びを聞きながらお手洗いでこれをメモっている。

週末は一応クリスマス。

子らが楽しめるよう尽力するつもり。

保育園に送っていくと娘に「今日は◎ちゃん階段のところでママ見てるから!早く行って!」と言われ、バイバイする間もなくさっさと急き立てられながら送り出され、階段の踊り場で小さく手を振る娘に何度も手を振り返しながらエントランスを出るうち、いつもよりさらに寂しく感じられて涙をこらえるのに必死になった。

優しいのかそうでないのかわからない…(笑)

どっちでも一生好き…

朝の登園中、冬の深まりを感じさせる景色があまりにも美しく、その中で聞こえる娘の声の可愛さと息子の温かい体温で時が止まったみたいだった。

娘と息子との時間は限られているというのに、年末までわたしが落ち着かなさそうで心もとないが、できることをできるかぎりするしか無い。

週末の写真館はとても楽しかった。

今週も折り返し、わたしが持ち崩さないよう頑張ろう。

子らは、健康で楽しく過ごせますように。

昨晩は息子を合計3時間くらい抱っこできて、さらに娘と寝る前にゆっくりパズルできたので一日が報われた。

わたしは大概何をしていても楽しい方だと思っていたけど、子どもたちとの時間があまりにも純粋な幸福そのものだから、他が霞んできてしまう。