真面目に育児が楽しい…。
大変さばかりが取りざたされ、「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさみたいなもの、つまり言葉を選ばず言うと親にとってのメリットみたいな部分は言われていない印象があるのでちょっとまとめてみる。
子育てのメリットについて。
1.子どもが可愛い
「は?」という感じだろうが、本当にマジでこれはもう外すことができなかった。
この点が第一に来ることはわたしの中で間違いがないため、”「子どもが可愛い」以外の育児の楽しさ”と銘打ちながらやはり最初に書かなくてはならない。
まじで世界で一番子どもが可愛い。
以前も書いたことがある気がするが、わたしはそもそも「子ども」という存在は寧ろ嫌いだった。
弱いし、うるさいし、臭いし、汚い。
そのくせ変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり、総じてかわいくもない。
そういう存在だった子どもが、なぜ今これほどわたしの感情の大部分を占め、ありとあらゆる歓びの源になっているのかと聞かれると、正直わからない。
「生んでみたら死ぬほど可愛いかった」としか言いようがない。
この可愛さを知る限り、こんなに尊い出来事が人生にあったものなのだなと思わされるのが育児だ、今のところ。
2.人間存在について改めて学ぶことができる
二つ目のメリットがこれ。
わたしとしては、この部分も実はものすごく大きい。
子どもという無償の愛情を以て親に接してくれるか弱い存在が、日々成長し、出来ることがふえ、言葉を覚え、複雑な感情を体得してゆく。
この過程を間近で観察できることにより、これまで当たり前で気が付かなかった部分に改めて目を向ける機会が豊富に与えられている。
先で「変にずるがしこくて大人より自分が優先されることをよく知っている狡猾さもあり」と書いたが、これも子どもの知性の発達の成果の一つであって、かつては泣くと笑うしかできなかった存在が、笑顔の使いどころや言葉の言い回しを覚えていくといったそれまでの過程を知っていると、この狡猾さにすらおおいに感動したりする。
例えはいくらでもある。
それまで知らなかった概念を、まずは音の記号で認知して対象として知ること。
それを繰り返し自分でも口に出し、覚え、既に言葉を知る者たちのまえで使うことで、応用のすべも身に付けていくこと。
そして自分の主張や相手との交渉の手足として使うようになること。
嫉妬や苛立ちといった感情も興味深い。
それまでは「何とも思わない」から「なんとなく嫌」だった物事に、段々嫌な感情から執心し始め、泣くだけだったところから、「嫌」「やめて」といった言葉で拒絶するようになり、理由を問われて考える。
つくづく賢い生き物だなと思わされるし、原初的な感情が複雑に変貌していく過程に、どこにも不自然さがない。
そしてこれは、我が子だけでなく今生きるあらゆる大人が辿ってきた過程なのだ。
こういうことを日々学ぶ中で、わたしは娘という存在を以て、人間という存在が以前より少し好きになれていると思う。
3.新しい知識・コミュニティが形成できる
3つ目のメリットは社会生活に関するものだ。
子どもを通して、自分の知識や情報もアップデートしていかなくてはならないため、そもそも見識が深まるという点はありがたい。
子どもがいなければ知ろうとすらしなかった問題に目を向けることができる。
この問題は「子どもがいなければ知る必要すらなかった問題」とは少し違う。
自分以外の人間、少なくとも若い世代やこれからを生きる人達と関わる場面では必要・有意義だろうという知識が殆どで、そういう意味でこの知識には意味があると思う。
また、いわゆる「ママ友」「パパ友」といった、あるいはほとんどの場面ではそういう名目ではないにせよ、子どもを介して新たな交友関係が開いたりする。
その成員は教師、教育実践者、自治体のコミュニティ運営者、保育者、医療関係者、そして我々と同じ親だったりする。
今のところのわたしの観測範囲だが、子どもと深い関わりのある人達は精神的に余裕のある人、あるいは未来に目を向けて動く人の多い印象で、自分の未来がこの人達と重なることは光栄だと感じる。
以上が今実感している子育てのメリットだ。
子育てを楽しめないのでは、産むことが怖いといった不安のある人に何かの偶然で届いたりしたらいいなと思う。
