久方ぶりに公園へ

今日も娘が壮絶に可愛かった。

数日ぶりに、少し長めに散歩に出向けた。

といっても近所だが、普段足をのばさない方面まで行けて良かった。

遊び未満の遊びに夢中になる

立ち寄ったカフェで食事に飽きてきたなというときどうするかというと、大概遊びにも満たない遊びのようなものを生み出すことにしている。

今日は、ウッドテーブルの天板に等間隔で空いている隙間に指を差し込んで娘に捕まえさせる、いわゆるモグラたたきみたいなことをした。

した、などと書くと大仰で笑えてくるが、要するに注意と好奇心とを満たすほど良い手遊びリストはどんどん増える。

「キャハハハハ!!!」と声を上げて大喜びしており逆に母は恥ずかしかった…

でも可愛いのでオッケー。

野鳥の物まねが意外とうまい

ふと耳にした鳥の鳴き声をほぼトレースしていて少し感動した。

🐥「ギャー!」

娘「ギャー!」

🐥「ギャーーーッ」

娘「ギャーーーッ」

音感は良いとみえた…

「すずめが鈴生り」

某ひらがな絵本で描かれていた光景にそのまま出会い、「鈴生り」を改めて教えたところ、どうやら雀の異名=「鈴生り」として理解したらしく、樹の上の群れに向かって

「すずなりー!」

「すずなりー!!!」

と呼びかけていた。

大声で呼びかけて近寄ったら、鈴生りの雀たちはバタバタと飛んでいなくなってしまった。

なんてことない日常だが、毎度「こんな幸せで良いのだろうか…」と思ってしまう。

最近の懸念

昨晩は久しぶりに夜中に娘が寝る気配がなく、一緒にリビングでくつろいで絵をかいたり歌を歌ったり、明け方には一緒にシャワーを浴びるなどした。

どんどん自我がはっきりしてきて、嫌な事ははっきり「いや!」と言うようになってきた。

いわゆるイヤイヤ期っぽさもあり、我儘を言う機会もあるけれど、ただ、それでもやはり娘はかなりおとなしいと感じる。

基本的には明るく素直に育ってくれていると思う一方で、ずっと心配していることがある。

娘に寂しい思いをさせてはいないか、そしてそれが主体性や好奇心の芽を摘んでしまっていないかということだ。

以前も書いたが、自分は確かに良い子ではあったが、自罰的ではなかったし主張が強かった。

愛されてきた自覚は存分にあり、母に無視された記憶もない。

それに対して、娘はわたしが仕事に忙しすぎることで、寂しい思いを抱かせすぎていないだろうかという点は本当に常に気がかりだ。

抱きしめて頭をなでると安心しきった顔になるが、時間に追われた一日の後では、それもまた胸を締め付けられる。

仕事は娘の将来のためにもとても大切だし、実際やらなくてはならないことは無限に広がっている。

常にあなたのことは頭にあるけれど、それでも構えない時、わたしは他に何かできることがあるだろうか…

とりあえず今日はこれから公園に連れて行ってめいっぱい遊ばせよう…