優しさはどこから?

娘が寝入り間際の「大好きよ」「ずっとずっと大好きよ」「ぎゅー」をマスターしてしまい、本格的に生活が詰んでいる。

ベッドのそばから離れられないし、永遠にベッドの柵越しに「ママのほうが500億倍大好きよ!!!」「ずっとずっとずっとずっと大好きよ!!!!!」「ぎゅうぅぅぅぅううううう!!!!」等々やってしまい、仕事が手につかない。

娘が優しい

娘に自分が持ちうる優しさのようなものを、自分が持ちうる限り与えようと試みていたら、娘が最近それをちょっとずつ真似るようになってきた。

いわゆる”優しさの表現”をしてくれることが増えている。

わたしが疲れて臥せっていると「だいじょうぶ?」と尋ねてきてくれたり、地震でバタバタとケージの中で暴れるインコに向かって「🐥ちゃんこわくないよー」「だいじょぶよー」、普段の姿には「かわいいねー」「すきよー」と声を掛けていたりする。(カワイイ)

優しさの原点

されるたびうれしくて幸せで昇天しそうになるし、優しい子に育っているわとうれしくなったりもするが、それ以上に、優しさの表現や他者へのGive的な行動の原点は、たんにこういう真似=イミテーションによるところなのかもなと実感する。

先の優しさの表現に関しては、おそらく娘自信が深く考えて行動を選んでいるというよりも、「母親もこれをやっているからたぶん危険とかじゃないんだろう。とりあえずやってみっか」くらいのものだと思う。

怯えたりパニックでない時、好奇心に突き動かされて子どもは色々な新しいことをやりたがる。

だから、そもそも自分が他人から何かを与えられており、その後自分と同じような立場の誰かを見つけたら、自分が最初与えられたように、その人に与えてみようとしたがる。

「自分がされたことを、次は自分もトライしてみよう」こういう動機は、かなり自然であって、人間が社会参加・形成する生き物である所以を見る気がする。

だいだい、娘は話し方や声のトーンがわたしにそっくりだし、姿勢まで寄せてきているし、なにより楽しそうに真似ている。

継続的にそうあるためには

例えば、娘の優しい行動を見たわたしは、優しいねぇ!ありがとう!すごいすごい!とべた褒めする。

すると娘はにっこり安心したように笑い、次も似たような行動をする。

こうした流れが出来上がり、行動が習慣化し始めている。

このようにして、例えば優しい人が出来上がっていくのかもしれない。

未だ2歳にして子育ての成功例を披露したかのようだが、もちろんこれは現段階での話であって、要するに娘のアクションについてもわたしの反応にしても、継続性が重要だろう、という推察だ。

習慣化によっては、意地悪な行動ふくめ様々な方向性を身に付けるだろう。

こういうことを、娘を見ていると感じる。

まとめ

優しさに関しては、こういうわけだから、そもそも自分の内側や心の中から自然に生じるものというよりも、信頼できる誰かを真似る=イミテーション的なロールプレイに端を発し、それをやってみた結果快感が得られれば継続的にそれをするようになる、そして様々な実践的場面を自ら経験することを通して、その行動のもつ意味や機能を学んでいくのだろう。

大人を見ていると、とっさのアクションとして優しさを示すことが出来ない人や、性根が吝嗇に凝り固まったのが隠せない人というのをたくさん見る。

そういう人は、今に至る幼少期や人間形成にとっての重要な時期に身近な人から十分に優しくされなかったか、されたとしてもそれを上回る不足や不安で、受け取った優しさを次に回す余裕がなかったのかもしれないと思う。

だからこそ、今後も娘には、娘にとってより良い行動を習慣化させられるようアクションを起こさせ、それを褒められたり評価されたりといった体験を、親として沢山積ませてやらなくてはならない。

願望多めの話になるが、ようするに教育の重要性を感じる出来事が最近多すぎる…