公園から帰り、「ファンタジア見る!」というのでつけてみてたら30分で飽き、「パンダ見る!」というのでTheEarthつけてみてたらパンダの出番が終わったら飽き、「ミッフィー見る!」というのでHuluのミッフィーのぼうけんをつけてみてる。

隣りに座って見ていると抱きついてきたり小さく「( ゚д゚)ハッ!」と呟いたりしていて本当にかわいいな…幸せだな…😭😭😭😭😭😭😭

娘がわたしの頬を両手で挟んでおもむろに「👠かわいいねえ!」と言い始めて爆笑した。

あなたのほうが一億万倍かわいいんだが。

最近鞄を持ちたがる娘に、ディズニーストアの袋で即席のショップバッグ作ってどうぞ💕って渡したら部屋の隅までダッシュして「いいいいらない!!!!!」って拒絶されて笑ってしまった。

ごめんて!

何があかんかったん…?!

娘は、おそらくシンプルに容姿に恵まれている。

「容姿」以外で大切なことは生きる上でやまほどある。

わたし自身決して派手な見た目ではないし、それでも人に恵まれてきた理由を自らに求めれば、主に内面や知性で興味を持たれるという経緯があったことは自覚している。

なにより、持って生まれたものをどう活用するかの方がずっと重要だ。

しかしながら、ルッキズムから逃れるには未熟すぎるこの世で楽しく生きて欲しいと願う親としては、「容姿」に恵まれているということは一つの安心でもある…

毎朝娘を夫に任せて仕事するのだが、室内カメラ越しの夫と一緒の時の娘はニコニコ楽しそうだし聞き分けも良くて、保育園でもこんな感じなのかなと思う。

わたしと居るときみたいにベッドに入れられるときぐずることもなく、入れられたとたんすとんと腰を下ろして本を読み始める。

一方、転んだときいつもまっさきにかけてくるのはわたしの方で、怖い時や辛い時もそう。

安心や安らぎと言う意味では、普段多くを過ごすわたしの方が得やすいのかもしれない。

だけど今日は、夫の脚に長くしがみついて離れなかったようで夫から「娘が落ち込んでるよ…」とLineがきた。

なんかもう今すぐ仕事辞めて帰りたい…今すぐは無理だが、早めに切り上げることにする。

謝罪を体得(一応)

個人的に娘の成長を感じた出来事があった。

経緯

昨晩父が帰宅してから、横並びのテーブルで一緒に少し遅めの夕食を取っていた時、父母の間に挟まれた娘が、持っていたストローマグを乱暴に振り回し、父の右肩をガンっと殴打。

父は「痛い!」と大げさに顔をしかめ、更に母は静かに「今のは●ちゃんが乱暴だったね」と指摘。

びっくりした表情のまましばし固まり、それから目を大きく見開いたまま数秒ふっ、ふっ、と息を継いで、やがて声にならない声で「ぅぁあぁぁぁぁぁー-----…」と泣き始める。

これは娘が自分で自分をコントロールしようとして出来ない時の泣き方だ。

怖い時や不満を訴えるときの、首を振りながらの「いやあぁあぁぁぁ!!!」とは対照的で、音量は小さめでそれでいて本人の表情には滅法悲壮さが際立つ。

一旦叱るそぶりを見せた手前、わたしとしてはすぐさま抱きしめたかったが、そうはしなかった。

近くで見つめながらなるべく穏やかに「●ちゃんが乱暴だったよ。それはわかる?」と尋ねると、わたしを見つめながらえぐえぐとしゃくりあげつつうなずいた。

一旦叱るそぶりを見せた手前、わたしとしてはすぐさま抱きしめたかったが、そうはしなかった。(2回目)(偉い)

「一回ママと落ち着こう。落ち着いたら、パパにごめんねしようね」と言いながら隣に身を寄せたら、娘の方からしがみつくように顔をわたしの胸へと押し付けてきた。

内心、かわいそうなのとかわいいのとで全く穏やかでなかったが、そのままじっと落ち着くのを待った。

暫くしゃくりあげていたが、胸に顔をぴたりと押し当てていると落ち着くらしく、次第に呼吸がリラックスしていった。

涙がおさまり、ふうと息をついたところで「じゃあ、パパに言おうか。”パパごめんね”」と促すと、暫くの沈黙の後、

「パパ…ごめんね…」と娘の言葉で謝罪した。

これまでとの変化

前提として、謝罪の意味は理解していると思う。

ただ、少し前から、娘は謝罪を求められると反発することが増えていた。

思いきり床に液体をぶちまけえも、ぬいぐるみや絵本を残酷に解体して叱られても、「いや!!!」とゴネてうやむやにしようとする。

そもそも不満があっての暴動だったりする場合もあるから当然といえば当然だが、叱られるということが引き金になって反発が起こることも多かった。

だから、一旦落ち着いた後であっても、相手に謝れるというのは進歩だと感じる。

久方ぶりに公園へ

今日も娘が壮絶に可愛かった。

数日ぶりに、少し長めに散歩に出向けた。

といっても近所だが、普段足をのばさない方面まで行けて良かった。

遊び未満の遊びに夢中になる

立ち寄ったカフェで食事に飽きてきたなというときどうするかというと、大概遊びにも満たない遊びのようなものを生み出すことにしている。

今日は、ウッドテーブルの天板に等間隔で空いている隙間に指を差し込んで娘に捕まえさせる、いわゆるモグラたたきみたいなことをした。

した、などと書くと大仰で笑えてくるが、要するに注意と好奇心とを満たすほど良い手遊びリストはどんどん増える。

「キャハハハハ!!!」と声を上げて大喜びしており逆に母は恥ずかしかった…

でも可愛いのでオッケー。

野鳥の物まねが意外とうまい

ふと耳にした鳥の鳴き声をほぼトレースしていて少し感動した。

🐥「ギャー!」

娘「ギャー!」

🐥「ギャーーーッ」

娘「ギャーーーッ」

音感は良いとみえた…

「すずめが鈴生り」

某ひらがな絵本で描かれていた光景にそのまま出会い、「鈴生り」を改めて教えたところ、どうやら雀の異名=「鈴生り」として理解したらしく、樹の上の群れに向かって

「すずなりー!」

「すずなりー!!!」

と呼びかけていた。

大声で呼びかけて近寄ったら、鈴生りの雀たちはバタバタと飛んでいなくなってしまった。

なんてことない日常だが、毎度「こんな幸せで良いのだろうか…」と思ってしまう。

最近の懸念

昨晩は久しぶりに夜中に娘が寝る気配がなく、一緒にリビングでくつろいで絵をかいたり歌を歌ったり、明け方には一緒にシャワーを浴びるなどした。

どんどん自我がはっきりしてきて、嫌な事ははっきり「いや!」と言うようになってきた。

いわゆるイヤイヤ期っぽさもあり、我儘を言う機会もあるけれど、ただ、それでもやはり娘はかなりおとなしいと感じる。

基本的には明るく素直に育ってくれていると思う一方で、ずっと心配していることがある。

娘に寂しい思いをさせてはいないか、そしてそれが主体性や好奇心の芽を摘んでしまっていないかということだ。

以前も書いたが、自分は確かに良い子ではあったが、自罰的ではなかったし主張が強かった。

愛されてきた自覚は存分にあり、母に無視された記憶もない。

それに対して、娘はわたしが仕事に忙しすぎることで、寂しい思いを抱かせすぎていないだろうかという点は本当に常に気がかりだ。

抱きしめて頭をなでると安心しきった顔になるが、時間に追われた一日の後では、それもまた胸を締め付けられる。

仕事は娘の将来のためにもとても大切だし、実際やらなくてはならないことは無限に広がっている。

常にあなたのことは頭にあるけれど、それでも構えない時、わたしは他に何かできることがあるだろうか…

とりあえず今日はこれから公園に連れて行ってめいっぱい遊ばせよう…