いつも娘を寝かせてから眩しくないように隣の部屋で少し仕事するのだが、今日布団に一緒に添い寝して眠れそうかいと尋ねたら、ベッド脇のサイドテーブルをちょんちょんと指さして

「えりん、ここでお仕事する…」ととろんとした瞳と声で促してきて、愛らしすぎて泣けた。

こんなに可愛い天使がすぐそばに居るってどういうことだろう…わたし前世で国でも救ったのかしら

用事で出ているときに初めてオオスカシバという蛾を見て撮影し、娘に見せるとわたし以上に夢中で見ていた。

最近は、わたしに絵を描かせ、色を塗ってくれるようになった。

最近の娘、怒るとき腕組んでてかわいい。

夫もわたしも腕は組まないと思うのだけど…ディズニー映画の影響かしら…

「笑顔のママで居たいのに、今日も子供に怒鳴ってしまった」

というような独白を見るたび、どこまで精神不安定なのだと思っていた。

どのような状況でもその時のベストを尽くせば、理不尽な感情の矛盾など起きないだろうと。あるいは単なるその人の過剰なキャパ不足だろうと。

わたしは娘のことを間違いなくこの世の存在の誰よりも愛しているし、それはこれからも変わらないと思うのだが、同時に、自我が強く出始めた娘に自分と同じような人間的な一面を見て、対処に迷うことがある。

ないがしろには決してできない成長の証だが、それを見ながらこの子との関わり方も変えていかなくてはならないことを思う。

存在として愛おしいと思うだけではだめで、わたしはこの子の人生の初期には丸ごとの責任があって、でもその責任は干渉や及ぼす影響とともに徐々に消していかなくてはならないはずだ。

その過程で、やはりぶつかるんだろうと予測する。

一対一の、自分のコアを持った個人として対峙しながら同時に存在ごとこの子を尊んできた親でもあるというのは、きっと精神的なタフさを要される。

何が言いたいって、我が親ふくめ子育てしてきた人、暴れながらでも不安定になりながらでも、やりきったこと、みんなすごい。

半端ない。

わたしもがんばろう…

せがまれてイヤリングつけてあげると、本当に得も言われぬ嬉しそうな幸せそうな顔になり、それがあまりにも本当にあまりにもかわいくて、プリンセスでしかなかった(昨日の話)

実母から送られてきたねじの積み木を、永遠にやっている。

モノをクリエイトできることはわかるようで、「蛇さん作る!」「お馬さん作る!」と楽しそうだ。

まぁ、まだ作るのはほぼわたしが作るんだが…笑

保育園に通っていたとき母が車を停めてフェンスの向こうからこちらをのぞきこんでいたことがあり、恥ずかしくて怒りが湧いたものだが今となっては一ミリたりとも非難できない。

耐えられる気がしない…心が痛い…