息子、夕方より急な発熱。

おそらく初詣やお出かけの疲れが出たのかと思うが、一気に38.7℃まで上がり肝が冷える。

もうよく話せるので「まま一緒にねよ」「ここにいて」とさけぶ。

それに応じて添い寝し、寝入ったところで離れると一瞬で起きて泣く。

子どもとは不思議なものだ。

とにかく、早く良くなるよう栄養のある食事を作る…。

昨日だが、昭島日吉神社のだるま市に行った。

控えめに言って最高だった。

都内の祭りでこれ以上に豪華な露店の出店に出会えたことがない。

人入りも多いが23区ほどではなく、なにより名物のだるまが壮観だった。

娘チョイスでピンクの小型のだるまをお迎えした。

願いを込めて左目を描き、願いが叶ったら右目をいれるのだとか。

来年返納に向けて、叶えられるよう努力しよう。

娘は射的をしたり玉入れをしたり綿菓子を食べたり、息子もアンパンマンのお面を手に入れたりポテトを貪ったりで1日があっという間であった。

初詣は毎年同様浅草寺に行ったが、夕方の時間帯から参入したことであまりにも混みすぎて本堂に至らなかった。

こういうのは御縁、と切り替えて同じ敷地内の鎮護堂へ。

奥に控える可愛らしいおたぬきさまにお目にかかれて子ども達も大喜びだった。

以下は配布されたリーフレットの引用

『鎮護堂 〜伝法院の鎮守「おたぬきさま」〜

「通称「お狸さま」と呼ばれている。

江戸には狸塚・狸穴の地名があったことからもうかがえるように、狸の棲息地が各所にあった。明治維新に彰義隊と官軍が上野の山で戦ったときに、逃げ出した狸が浅草奥山に棲みつき、 いたずらをするので困っていた。時の住職唯我韶舜僧正の夢枕に狸が立って「自分たちを保護してくだされば伝法院を火災から守りましょう」というので、明治十六年(一八八三)鎮護大使者として祀ったという。火防・盗難および商売繁盛を祈る人が多い。とくに落語家や歌舞伎の俳優など芸能関係者の信仰が篤いことで知られる。現在のお堂は大正二年(一九一三)の建立。三月十七日に祭礼が行われる。』

https://www.senso-ji.jp/guide/guide14.html

何度も通っている浅草寺でのこうした出逢いは有難い。

運試しは、寺ではなく喫茶「天国」の謎のマシーンで行った。

これまでにない、ぬるりと楽しい元旦であった。

土日に義母が上京。

当初帰省も考えたが、東京観光もしたいとのことで2日間の日程で子どもたちを連れておばあちゃんデーに。

野菜農園、有名な洋食店、美術館などを巡り楽しく過ごしていた。

娘は大好きなおばあちゃんに終始くっつき、幸せそうだった。

日曜の朝には寝起き一言目に「おばあちゃんは!」

別れ際には前のようにギャン泣きはせず、大きな瞳を目一杯ひらいて涙がこぼれないようこらえていた。

最後ホテルに戻る義母の背中に「おばあちゃん…」と呟くのを聞いてこちらが泣いてしまう。

息子は、のんびり穏やかに終始楽しそうにしていた。

今の距離感はつくづく、奇跡だと思う。

いつもより少し遅めの迎えに行ったら、園の外から息子が教室のゲートにもたれかかってまんまるな瞳でじーっと玄関を見てる姿が見えてしまって半分泣いた…

先週のことになるが、娘が水疱瘡の誤診を受け、1週間ほど休みとなった。

誤診がわかったのは1週間後の再診時で、感染症なので基本どこにも行くわけにもいかずだったが、わたしにとっては久しぶりの、娘と2人きりですごす平日の昼間。

朝にカフェでテイクアウトを買って帰り、リモートするわたしの隣でずっとお話しながら勉強したりお絵かきをしたり折り紙をしたり。

誤診がわかった日の昼間だけ、娘のリクエストでマクドナルドでハッピーセットを頼んだ。

本当に誇張なく、天国のようなひとときだった。

とはいえなんともなく、息子も無事で良かった。

娘、全身に湿疹が出て急遽母が迎えに行く。

手指もそうだが、痒いのは痛いのと同じくらい辛いだろうしで、見た目にもいたいたしくて泣ける…

園で流行っているものは特にないとのこと。

子どもたちに対して、最も身近な隣人としての家族に優しくいられる子になってほしい(主に本人のために)と思う一方、最近の2人の自我の発達や感受性のバリエーションを見るに、如何に個として存在する自己を適切に認識させられるか、というその必要性について最近はことさら思う。

そのために、ふだん空間を共有してはいても、希望するときには1人になれる、じっくり考え事のできる環境を今一度整えなくてはならない。