息子がインコとヒヨドリ(6月末より一時保護中)に興味津々なので、最近リビングに時々連れてきては一緒に観察してみている。

以前までなら、どうしても気になって手を振りかぶって触ろうとしてしまっていたのだが、再三優しくねゆっくりねと言い聞かせたこともあり、指先をそーっと触れさせるようにして手を伸ばす。

ヒヨドリはもうすっかり慣れ、息子の手が近づいてもよけず、柔らかい羽を触れるほどになった。

息子は小さい声で「かぁい、かぁい…!」と言いながら両手を合わせて嬉しそうにしていて、いやかわいいのはきみだよと思う(もちろん鳥類は紛れもなく可愛い)。

娘はすっかり鳥使いで、手に乗せたり肩に乗せたりも手慣れて鳥にも好かれているから、見ていて安心感がある。

手洗いや消毒に気を付けつつ、これからも様子見を続けたい。

息子、安定して一語文だが、やはりコミュニケーションの内容についてはよく理解できている。

問いかけへのイエス・ノーはかなり正確に主張してくるし、行く、履く、描く、入る、などの動詞の使い分けにも慣れてきた。

そのぶん言った通りの結果が得られないと怒ることも増えてきた。

気の弱い小鬼感がすごい。

娘のお友達とのやりとりが本当に可愛い。

目下のところ、すぐ喧嘩する。

あんなに満面の笑みで挨拶しておいて?!と思わなくもないが、娘もお友達も双方主張が頓珍漢なわけではなく、わからなくもない。

おとなになってこれらの争いがめったに生まれないのは、やはり我慢や自分以外の他者の存在への想像力故なのだろうと思う。

登園してすぐの喧嘩だったので、すっかり拗ねて部屋の隅まで逃げていったお友達を呼びに行き、娘とも話し、なんやかんやと仲直りできるところまで見届けられてまたそれも感慨深かった。

願わくば娘が人を愛し、人に愛される人生だと良いなぁと思う。

息子の降園時、保育士さんから「今日はお昼寝から起きてからちょっとずっと泣いてしまってて…どの保育士がってわけじゃないんですが、傍で遊んでいた保育士が立ち上がると寂しいのかエーンと泣いてしまって…」と聞いて泣きそうになった。

今朝の直感など、色々と思い出された。

早めの迎えだったが、そのまま娘と2人連れて家に即帰り、お家でゆっくり遊ばせた。

電車やブロック、レゴ、マグフォーマー、積み木と何をしても楽しそうで、ずっと他の何にこだわることもなく、わたしや娘のそばで遊んだ。

寂しさもあったのだろうと思うとなおさら申し訳ない。

夕方は、いつも2人を同時に入浴させるが、今日は1人ずつにした。

疲れも観察されたため、息子は入浴後にいったん寝かせて娘の入浴を…と想定していたのだが、5分ほど寝たところで起きてしまい、激しく泣き始める。

娘は今日は気分よさげだったので、申し訳ないが早めに切り上げた。

夕食前には、キッチンに離れて料理に立つわたしをリビングで見ながらやはり大号泣。

通常時は、火を使っている時のキッチンには何があっても近づかせないが、あまりにも泣く&今日に限って作り置きも用意しておらず途中まで料理も進んでいたため、一時的に抱き上げて料理風景を見せるなどした。

お気に入りの新しい水筒を見つけて、今入っているボトルではなくこれにお茶を入れて飲みたいとせがむ。

欲求も好みに合わせて具体化・固化されてきたなぁと感慨深い。

これ以上息子のお好みにそぐわぬ物事を提供するのも…と配慮し(監督者としての怯みもあり)、普段ならもう1品作るところを早々に切り上げてお子様メニューの夕食(焼き鮭、炒り卵、ポタージュスープ、うどん、ヨーグルト)となった。

「おいし!おいしぃ!」と一生懸命声を張り上げて感想を伝えてくれて完食した。

娘はなんやかんやと気にかけてくれ、優しかった。

体調・精神状態ともに2人が健やかに過ごせることを、いつもながら願っている。