娘が、寝る前に大好きなミッフィーのぬいぐるみを自分の隣に寝かせて、布団をかけてやり、うまくかからないので一生懸命向きを調整するなどしてふかふかにしてあげている様子を見ていたらなぜかダバーッと泣けてきて夫に心配された(正確には、本気で心配されたのではなく面白がられた)。
娘を見ていると、優しさは、元々心の中に核があるものというよりも、最初は生活様式の真似事から端を発して、それが心に小さな灯のように宿るものなのかもなと思う。
娘がしていることは、まさにわたしがかつての娘や今の息子にしていることの真似事のようなものだ。
そして、それをしているとき娘はとても楽しそうで、熱中しているように見える。
優しさの原型とは、深い理解や倫理への探求というよりも、自分がしてもらったことを他人にも施したらなんとなく心地が良かった、というような経験を通して作られていくものなのかもしれない。
だから、この子が優しく居られるかどうかは、やはり親にかかっていると思うし、親の努力で優しさのきっかけを提供できたとしても、その先それをどう育てるかは本人に委ねるところが大きい。
居られないとしたら親の所為だし、居られるとしたら本人の功ということだ。
…みたいなことを思いながら、娘が着実に成長してきているのだなと知って切なすぎて30分ほど静かに静かに泣いたので、朝から目がしばしばする…